みつばさのかげ

一日一章、聖書のみことばから感動したこと、考えさせられたことなどを綴ります。

こんなにすばらしい救い

御使いたちを通して語られたみことばに効力があり、すべての違反と不従順が当然の処罰を受けたのなら、こんなにすばらしい救いをないがしろにした場合、私たちはどうして処罰を逃れることができるでしょう。この救いは、初めに主によって語られ、それを聞いた人たちが確かなものとして私たちに示したものです。(ヘブル2:2-3)

 

ヘブル書の著者は、2章のはじめに次のように書いた。

 

こういうわけで、私たちは聞いたことを、ますますしっかりと心に留め、押し流されないようにしなければなりません。(1)

 

わたしたちは「押し流され」たり、「こんなにすばらしい救いをないがしろに」したりする可能性がある。

恐ろしいことだ。

 

だからこそ、そうならないために、「聞いたこと」、すなわちキリストの福音を「しっかりと心に留め」、「こんなにすばらしい救い」がどれほどすばらしいものなのかをきちんと知る必要がある。

これが、ヘブル書全体のバックボーンだ。

 

この2章で、さっそく「こんなにすばらしい救い」の核心に踏み込んでいる。

 

1.イエスの死は、すべての人のためである

 

エスは死の苦しみのゆえに、栄光と誉れの冠を受けられました。その死は、神の恵みによって、すべての人のために味わわれたものです。(9)

 

2.イエスの救いは完全である

 

多くの子たちを栄光に導くために、彼らの救いの創始者を多くの苦しみを通して完全な者とされたのは、万物の存在の目的であり、また原因でもある神に、ふさわしいことであったのです。(10)

 

3.イエスは信じる者たちを兄弟と呼ぶ

 

聖とする方も、聖とされる者たちも、みな一人の方から出ています。それゆえ、イエスは彼らを兄弟と呼ぶことを恥とせずに、こう言われます。(11)

 

4.イエスは悪魔を滅ぼす

 

そういうわけで、子たちがみな血と肉を持っているので、イエスもまた同じように、それらのものをお持ちになりました。それは、死の力を持つ者、すなわち、悪魔をご自分の死によって滅ぼし、(14)

 

5.イエスは死の恐怖から解放してくださる

 

死の恐怖によって一生涯奴隷としてつながれていた人々を解放するためでした。(15)

 

6.イエスはわたしたちの苦しみを知っておられる

 

エスは、自ら試みを受けて苦しまれたからこそ、試みられている者たちを助けることができるのです。(18)

 

エスの死は、わたしのためにも、あなたのためにも、味わわれた。

エスは、わたしたちを苦しめる悪魔を滅ぼし、わたしたちを死の恐怖の奴隷状態から解き放たれた。

そしてイエスは、わたしたちの飢えも、渇きも、痛みも、弱さもわかってくださり、助けてくださる。

あらためて、主を礼拝しようではないか。

 

キリストは、神の御姿であられるのに、神としてのあり方を捨てられないとは考えず、ご自分を空しくして、しもべの姿をとり、人間と同じようになられました。人としての姿をもって現れ、自らを低くして、死にまで、それも十字架の死にまで従われました。(ピリピ2:6-8)

 

 

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