みつばさのかげ

一日一章、聖書のみことばから感動したこと、考えさせられたことなどを綴ります。

心を頑なにしてはならない

ですから、聖霊が言われるとおりです。「今日、もし御声を聞くなら、あなたがたの心を頑なにしてはならない。荒野での試みの日に神に逆らったときのように。」(ヘブル3:7-8)

 

『ヘブル人への手紙』の特徴は、聖書(旧約聖書)からの引用が多いことだ。

ユダヤ人読者を想定しているので、聖書にある先祖の話は知っているものとして書かれている。

その良い例、悪い例、それぞれから学び、いまを生きる教訓にしようというスタンスだ。

そしてこの3章では、"悪い例"が扱われる。

 

「あなたがたの先祖はそこでわたしを試み、わたしを試し、四十年の間、わたしのわざを見た。だから、わたしはその世代に憤って言った。『彼らは常に心が迷っている。彼らはわたしの道を知らない。』わたしは怒りをもって誓った。『彼らは決して、わたしの安息に入れない。』」(9-11)

 

神に逆らい、不信仰になった結果、エジプトから脱出したイスラエルの民は四十年間さまよい続け、約束の地に入ることはなかった。

彼らは、神に対し、「心を頑なに」したのだ。

 

「心を頑なにする」とは、耳を塞ぐことだ。

「今日、もし御声を聞くなら・・・」とある。

耳を塞いだとき、人は霊的な思考停止に陥り、神を見失う。

 

また、それは罪に惑わされた結果でもある。

 

「今日」と言われている間、日々互いに励まし合って、だれも罪に惑わされて頑なにならないようにしなさい。(13)

 

悪魔は、わたしたちを罪によって惑わし、心を頑なにしようと企んでいる。

なかなか気づけない巧妙さをもって。

 

不思議なことに、心を頑なにしている人は、表情も固くなる。

心の頑なさと表情の固さは、直結しているのだろうか。

 

「わたしがきよい水をあなたがたの上に振りかけるそのとき、あなたがたはすべての汚れからきよくなる。わたしはすべての偶像の汚れからあなたがたをきよめ、あなたがたに新しい心を与え、あなたがたのうちに新しい霊を与える。わたしはあなたがたのからだから石の心を取り除き、あなたがたに肉の心を与える。」(エゼキエル36:25-26)

 

これは、神がイスラエルの民に与えられた約束だ。

石のような固い心を取り除いて、肉のようなやわらかな心を与える、とある。

 

わたしの心は、今日、どうだろうか?

石のように固いか、それとも肉のようにやわらかか。

 

主よ。

今日という日に、私から石のように頑なな心を取り除き、肉のように柔軟な心をお与えください。

アーメン。

 

「なぜ、あなたがたは、食糧にもならないもののために金を払い、腹を満たさないもののために労するのか。わたしによく聞き従い、良いものを食べよ。そうすれば、あなたがたは脂肪で元気づく。耳を傾け、わたしのところに出て来い。聞け、そうすれば、あなたがたは生きる。わたしはあなたがたと永遠の契約を結ぶ。それは、ダビデへの確かで真実な約束である。」(イザヤ55:2-3)

 

 

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