みつばさのかげ

一日一章、聖書のみことばから感動したこと、考えさせられたことなどを綴ります。

よりすぐれた契約の仲介者

しかし今、この大祭司は、よりすぐれた契約の仲介者であるだけに、その分、はるかにすぐれた奉仕を得ておられます。その契約は、よりすぐれた約束に基づいて制定されたものです。(ヘブル8:6)

 

ここに、「よりすぐれた契約」「はるかにすぐれた奉仕」「よりすぐれた約束」と、立て続けに同じ表現が出てくる。

これらは、ヘブル書に特徴的な表現でもある。

 

なぜ、「よりすぐれた」ものと言えるのか?

それは、イエス・キリストによる救いは"本物”であるからだ。

 

この方は天におられる大いなる方の御座の右に座し、人間によってではなく、主によって設けられた、まことの幕屋、聖所で仕えておられます。(1-2)

 

それまでのものが、偽物であったということではない。

ただそれは、形式的なものだったのだ。

 

この祭司たちは、天にあるものの写しと影に仕えています。それは、モーセが幕屋を設営しようとしたときに、御告げを受けたとおりのものです。神は、「よく注意して、山で示された型どおりに、すべてのものを造らなければならない」と言われました。(5)

 

かつてのものは、「天にあるものの写しと影」であり、いわば本物の模型のようなものだった。 

展示会で、本物のフェラーリのよこで、模型のフェラーリに「かっこいい!」とくいつく人はいないだろう。

模型よりも、本物のほうが、はるかに価値があるに決まっている。

 

モーセの律法に定められたさまざまな「型」は、天の模型といえる。

イエス・キリストが来られたことによって、模型の時代は終わった。

形式上の大祭司に代わってまことの大祭司が来られ、形式上の献げものではなくご自身をお献げになり、形式上の聖所ではなくまことの聖所にお入りになった。

 

神は、何千年もかけて、ほんとうに壮大なことをされる。

 

「見よ、その時代が来る。――主のことば――そのとき、わたしはイスラエルの家、ユダの家との新しい契約を実現させる。・・・これらの日の後に、わたしがイスラエルの家と結ぶ契約はこうである。――主のことば――わたしは、わたしの律法を彼らの思いの中に置き、彼らの心にこれを書き記す。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。」(8・10)

 

考えてみれば、神がお選びになったイスラエルの民もまた模型のようなものだ。

神は愛の対象である人間とどのように関わられるのかを、イスラエルの民をとおして示された。

そして、それはいま、全人類に向けられている。

いまや異邦人もまた神の家族であり、「わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる」という新しい契約の対象なのだ。

 

神は、「新しい契約」と呼ぶことで、初めの契約を古いものとされました。年を経て古びたものは、すぐに消えて行くのです。(13)

 

 

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