みつばさのかげ

一日一章、聖書のみことばから感動したこと、考えさせられたことなどを綴ります。

コラの事件

コラの事件で死んだ者とは別に、この主の罰で死んだ者は、一万四千七百人であった。(民数記16:49)

 

政治の魅力とは少数で多数を支配することだと、聞いたことがある。

特に男性は、この魅力に囚われやすい。

モーセの時代も、そうだった。

 

レビの子であるケハテの子イツハルの子コラは、ルベンの子孫であるエリアブの子ダタンとアビラム、およびペレテの子オンと共謀して、モーセに立ち向かった。イスラエルの子らで、会衆の上に立つ族長たち、会合から召し出された名のある者たち二百五十人も、彼らと一緒であった。(1-2)

 

彼らの言い分は、こうだ。

 

彼らはモーセとアロンに逆らって結集し、二人に言った。「あなたがたは分を超えている。全会衆残らず聖なる者であって、主がそのうちにおられるのに、なぜ、あなたがたは主の集会の上に立つのか。」(3)

 

彼らの言葉は、一見、いかにも信仰的だ。

しかし、その実態は、モーセとアロンに対するやっかみであり、人の上に立って支配したいという欲であった。

「分を超えている」のは、彼らのほうだった。

 

モーセはこれを聞いてひれ伏した。(4)

 

以前、民がモーセに激しく不平を言ったときにも、モーセはひれ伏した。

驚くべき態度だ。

彼は、売り言葉に買い言葉で、すぐに言い返したりはしなかった。

ひれ伏す姿勢は、彼の謙遜と、まず主に伺うあり方を示していると思われる。

 

最終的に、この謀反に対する神の回答は、大変厳しいものだった。

ダタンとアビラムは、家族もろとも地の裂け目に吞み込まれ、他の者たちは神からの火で焼き尽くされたのだ。

 

目撃した多くの民衆は、恐れおののいたはずだ。

そして、モーセこそ神によって立てられた指導者であると認めるかと思われた。

ところが、翌日、彼らは信じられない行動に出る。

 

その翌日、イスラエルの全会衆は、モーセとアロンに向かって不平を言った。「あなたがたは主の民を殺した。」会衆がモーセとアロンに逆らって結集したとき、二人が会見の天幕の方を振り向くと、見よ、雲がそれをおおい、主の栄光が現れた。(41-42)

 

人間の頑迷さを見る思いがする。

これに対し、主は「罰」を与え、それによって一万四千七百人が死んだ。

コラの事件で死んだ数の比ではないほどの、大人数だ。

 

モーセもアロンも、指導者になりたくてなったわけではない。

ここが、コラをはじめとする首謀者たちとの大きな違いだ。

他者を支配したいという欲望は、ことのほか根深い。

 

あなたがたのうちにいる、神の羊の群れを牧しなさい。強制されてではなく、神に従って自発的に、また卑しい利得を求めてではなく、心を込めて世話をしなさい。割り当てられている人たちを支配するのではなく、むしろ群れの模範となりなさい。(1ペテロ5:2-3)

 

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