みつばさのかげ

一日一章、聖書のみことばから感動したこと、考えさせられたことなどを綴ります。

彼らの不平をわたしから全くなくせ

主はモーセに言われた。「アロンの杖をあかしの箱の前に戻して、逆らう者たちへの戒めのために、しるしとせよ。彼らの不平をわたしから全くなくせ。彼らが死ぬことのないようにするためである。」(民数記17:10)

 

主は、モーセを通して、各部族の族長の杖に名前を書くよう命じられた。

レビの杖には、アロンの名が書かれた。

 

「あなたはそれを、会見の天幕の中の、わたしがそこであなたがたに会うあかしの箱の前に置け。わたしが選ぶ人の杖は芽を出す。こうしてわたしは、イスラエルの子らがあなたがたに向かって言い立てている不平を、わたし自身から遠ざけ、鎮める。」(4-5)

 

誰が主によって立てられた人かをはっきりさせよう、ということだ。

 

その翌日、モーセはあかしの天幕に入って行った。すると見よ。レビの家のためのアロンの杖が芽を出し、つぼみをつけ、花を咲かせて、アーモンドの実を結んでいた。(8)

 

超自然的なできごとを通して、アロンこそが主によって立てられた者であるとあきらかになった。

ここで主は、こう言われた。

 

「彼らの不平をわたしから全くなくせ。」(10)

 

不平がおもしろくないからではない。

文句を言う奴が憎たらしいからではない。

こう続いている。

 

「彼らが死ぬことのないようにするためである。」(10)

 

主への不平は、主への反抗、すなわち罪になり、その先にあるのは死だ。

これは、アダムのときから変わらない。

 

主は絶対者として権力を振るいたのではないのだ。

一人ひとりの人間を幸せにしたい、その一心なのだと思う。

 

「あなたがたが行ったすべての背きを、あなたがたの中から放り出せ。このようにして、新しい心と新しい霊を得よ。イスラエルの家よ、なぜ、あなたがたは死のうとするのか。わたしは、だれが死ぬのも喜ばない――神である主のことば――。だから立ち返って、生きよ。」(エゼキエル書18:31-32)

 

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