みつばさのかげ

一日一章、聖書のみことばから感動したこと、考えさせられたことなどを綴ります。

その汚れから離れさせなさい

「あなたがたは、イスラエルの子らをその汚れから離れさせなさい。彼らが、彼らのただ中にあるわたしの幕屋を汚し、自分たちの汚れで死ぬことのないようにするためである。」(レビ記15:31)

 

よく読むと、怖いみことばである。

汚れた者が幕屋に入ると「死ぬ」のだ。

 

もし日本で、汚れたままで鳥居をくぐったら途端に死んでしまう神社があったら、だれも近づこうとはしないだろう。

当時のイスラエルの民の緊張感、主を恐れつつ敬うこと、幕屋の神聖さ、いろいろ思わされる。

 

この「汚れ」は、霊的なものだけでなく、肉体的なものも含まれた。

15章では、特に、性器からの漏出について記されている。

 

以上が、漏出のある者、精を漏らして汚れた者、月のさわりで不浄な女、男か女で漏出のある者、また汚れている女と寝た男についてのおしえである。(32-33)

 

これらは祭儀的な汚れの意味もあるだろうが、衛生上の意味も大きかったのではないかと、わたしは考える。

現代のようにいつでもシャワーを浴びられる環境ではなく、感染症の危険もはるかに大きかったろう。

その意味では、このような規定にも、主の人間に対する配慮を見ることができる。

 

この中に、長い日数にわたって「血の漏出」がある女に関する規定がある。

 

女に、月のさわりの期間ではないのに、長い日数にわたって血の漏出があるか、あるいは月のさわりの期間が過ぎても漏出があるなら、その汚れた漏出がある間中、彼女は月のさわりの期間と同じように汚れる。(25)

 

彼女が寝たり座ったりした物も汚れるとされ、それらに触れた人も汚れるとされた。(26-27)

本人としては、とても辛い状況だ。

 

エスさまに近づいた女は、十二年もこの状態が続いていた。

 

そこに、十二年の間、長血をわずらっている女の人がいた。彼女は多くの医者からひどい目にあわされて、持っている物をすべて使い果たしたが、何のかいもなく、むしろもっと悪くなっていた。彼女はイエスのことを聞き、群衆とともにやって来て、うしろからイエスの衣に触れた。(マルコ5:25-27)

 

彼女は、たちどころに癒された。

エスさまに満ちている人間の想像を絶するほどの力が、彼女に流れていったのだ。

 

わたしたちもまた、自分の汚れを自覚しながらも、信仰の手を伸ばして、イエスさまにふれよう。

 

エスは彼女に言われた。「娘よ、あなたの信仰があなたを救ったのです。安心していきなさい。苦しむことなく、健やかでいなさい。」(マルコ5:34)

 

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