目をさまし、注意していなさい
「気をつけなさい。目をさまし、注意していなさい。その定めの時がいつだか、あなたがたは知らないからです。」(マルコ13:33)
イエスさまが、ご自身の再臨や世の終わりについて、その前兆を教えられた箇所だ。
ここでくり返し言われたのが、「目をさませ」「気をつけよ」という警告だ。
「だから、気をつけていなさい。」(23)
「だから、目をさましていなさい。」(35)
「目をさましていなさい。」(37)
口を酸っぱくして、しつこいくらいに語っておられる。
それだけ重要なことであり、また、人間が忘れやすいことでもあるということだろう。
ところで、数年前、わたしの住む町でひと騒動あった。
銀行に“爆破予告”の電話がかかったのだ。
周囲数百メートルに「立ち入り禁止テープ」が貼られ、近くの小学校では子どもたちが校舎内に避難し、何台ものパトカーが出動して、それはそれはものものしい状況であった。
が、結局は何事もなく済み、胸をなでおろした。
マタイ伝には、つぎのようなイエスさまの言葉がある。
「家の主人は、どろぼうが夜の何時に来ると知っていたら、目を見張っていたでしょうし、また、おめおめと自分の家に押し入られはしなかったでしょう。だから、あなたがたも用心していなさい。なぜなら、人の子は、思いがけない時に来るのですから。」(マタイ24:43-44)
“爆破予告”であれだけ警戒し、見張るのだ。
これからやって来る「イエスさまの再臨」という、世界的な大事件に安穏としていいわけはなかろう。
犯罪者を警戒するのと同じくらい、その日に備えよと、イエスさまは語っておられる。
とはいえ、眠りこけてしまいやすいのも人間だ。
日々、目をさまし、なすべきことに身を入れ、主の日に備えた生活をしたいものである。
「いちじくの木から、たとえを学びなさい。枝が柔らかになって、葉が出て来ると、夏の近いことがわかります。そのように、これらのことが起こるのを見たら、人の子が戸口まで近づいていると知りなさい。」(28-29)
しかし、兄弟たち。あなたがたは暗やみの中にはいないのですから、その日が、盗人のようにあなたがたを襲うことはありません。あなたがたはみな、光の子ども、昼の子どもだからです。私たちは、夜や暗やみの者ではありません。ですから、ほかの人々のように眠っていないで、目をさまして、慎み深くしていましょう。(1テサロニケ5:4-6)