主の信頼を裏切るとき
「人が罪に陥っていて主の信頼を裏切るとき、すなわち、預かり物や担保の者やかすめた物について同胞を欺いたり、あるいは同胞を脅迫してゆすり取ったり、あるいは落とし物を見つけながらも欺いたりするなどして、人が罪に陥っていて行う事柄の一つについて、偽りの誓いをするようなとき、・・・」(レビ記6:2-3)
ここは5章の続きで、「代償のささげ物」の規定だ。
「主の信頼を裏切る」という訳は、以前の新改訳では「主に対して罪を犯し」となっていた。
そのほか、新共同訳では「主を欺き」、口語訳では「主に対して不正をなしたとき」と訳されている。
あとに続く言葉を見ると、「欺く」ことに関する内容なので、新共同訳の訳がわかりやすいと思う。
「欺く」の漢字は、「詐欺」にも使われる。
嘘をつく、騙す、裏切る。
すべて、根源は悪魔だ。
人を欺くことは、主を欺くことであり、主を裏切ることなのだ。
ペテロは、主に対し嘘をついたアナニアにこう言った。
「あなたは人を欺いたのではなく、神を欺いたのだ。」(使徒5:4)
わたしは、神の前に、「誰をも欺いたことはない」とはとても言えない。
いや、いまも欺いているかもしれない。
主に心探っていただこう。
神よ、私を探り、私の心を知ってください。私を調べ、私の思い煩いを知ってください。私のうちに、傷のついた道があるかないかを見て、私をとこしえの道に導いてください。(詩篇139:23-24)