その頭は純金。髪はなつめ椰子
私の愛する方は、輝いて赤く、万人に抜きん出ています。その頭は純金。髪はなつめ椰子の枝で、烏のように黒く、目は乳で洗われ、池のほとりに住む、水の流れのそばの鳩のよう。(雅歌5:10-12)
娘は夢の中で「あの方」を見失う。(6)
そこでエルサレムの娘たちに、見つけたら知らせてくれるよう頼む。(8)
娘たちは、どんな人なのかと問う。
あなたの愛する方は、ほかの親しい者たちより何がまさっているのですか。女の中で最も美しいひとよ。あなたの愛する方は、ほかの親しい者たちより何がまさっているのですか。あなたがそのように私たちに切に願うとは。(9)
これに対する返答として、娘が「あの方」を描写したのが10節以降だ。
4章で「あの方」が娘のからだの各部分を褒めたたえたのと対になった格好だ。
頬は香料の花壇のようで、良い香りを放つ。唇はゆりの花。没薬の液を滴らせる。腕は金の棒でタルシシュの宝石がはめ込まれ、からだは象牙の細工でサファイアでおおわれている。足は大理石の柱で、純金の台座に据えられている。その姿はレバノンのよう。その杉の木のようにすばらしい。(13-15)
整理してみよう。
頭/純金
髪/なつめ椰子の枝、烏のように黒い
目/水の流れのそばの鳩
頬/香料の花壇
唇/ゆりの花
腕/金の棒
からだ/象牙の細工
足/大理石の柱
姿/杉の木
こうしてあらためて眺めてみると、神が創造された人間のからだは、実にすばらしいことがわかる。
ひとつひとつの器官は、驚くべき知恵の結集であり、それらが見事な調和を保って成り立っている。
このからだを、もっとも神のみこころにかなって使ったのは、言うまでもなくイエス・キリストだ。
主は、土の器である肉のからだを、「聖霊の宮」として完全に献げられた。
そしてその主の御姿は、わたしたちの模範でもある。
わたしのこの手も足も、目も口も、すべては本来、すばらしく称賛されるべき器なのだ。
その部分、部分を、神のみこころにかなって“美しく”使っているだろうか。
この土の器を「聖霊の宮」として献げれば献げるほど、「美しいひと」として歩むことができるのではないだろうか。
また、あなたがたの手足を不義の道具として罪に献げてはいけません。むしろ、死者の中から生かされた者としてあなたがた自身を神に献げ、また、あなたがたの手足を義の道具として神に献げなさい。(ローマ6:13)