あなたには何の汚れもない
わが愛する者よ。あなたのすべては美しく、あなたには何の汚れもない。(雅歌4:7)
4章では、「あの方」から娘への言葉が並ぶ。
ああ、あなたは美しい。わが愛する者よ。ああ、あなたは美しい。あなたの目は、ベールの向こうの鳩。髮は、ギルアデの山を下って来るやぎの群れのようだ。歯は、洗い場から上って来た、毛を刈られた雌羊の群れのよう。(1-2)
このように、娘のからだの各部分をさまざまなものにたとえながら褒めたたえる。
唇は紅の糸のようで、口は愛らしい。頬はベールの向こうで、ざくろの片割れのようだ。(4)
どうだろう。
妻を見つめながら、同じように思ってみては。
いや、なにも口にせよと言うのではない、「思って」みるだけだ。
出会った頃は、これに似た思いを持っていたではないか。
二つの乳房は、ゆりの花の間で草を食べている双子のかもしか、二匹の子鹿のようだ。(5)
キリストは「情欲を抱いて女を見る者は、すでに心の中で姦淫を犯したのです」と言われたが、昔この5節のみことばを読んで、(神のきよさで女性を見ると、こうなるのか)といたく感心したものだ。
罪人のわたしには想像もつかないが、もし罪のない心になったとしたら、世界はどれほど美しく見えることだろう。
わが愛する者よ。あなたのすべては美しく、あなたには何の汚れもない。(7)
「あの方」は娘の美しさをたたえるが、それだけ彼の心が美しいのだ。
ところで、この7節のみことばは、わたしたち一人ひとりがキリストから直接受け取ってよいみことばである。
もちろん、自分が汚れだらけであると知っている。
しかし、それこそがキリストのきよさにあずかる道でもある。
このような汚れた者を完全にきよめるために、キリストは十字架で血を流された。
このみこころにしたがって、イエス・キリストのからだが、ただ一度だけ献げられたことにより、私たちは聖なるものとされています。(ヘブル10:10)
何度もみことばを受け取ろう。
心に沁み込ませよう。
「おまえは汚れている、ほらまた罪を犯したではないか」という悪魔の声を振り払い、神のみことばに目を留めよう。
あなたのすべては美しく、あなたには何の汚れもない。(7)
また私たちには、神の家を治める、この偉大な祭司がおられるのですから、心に血が振りかけられて、邪悪な良心をきよめられ、からだをきよい水で洗われ、全き信仰をもって真心から神に近づこうではありませんか。(ヘブル10:21-22)