みつばさのかげ

一日一章、聖書のみことばから感動したこと、考えさせられたことなどを綴ります。

死んだハエ

死んだハエは、調香師の香油を臭くし、腐らせる。少しの愚かさは、知恵や栄誉よりも重い。(伝道者10:1)

 

「死んだハエ」を飲みたいかと問われたら、飲みたいと答える人はいないだろう。

しかしそう言いながらも、実は飲んでしまっているかもしれない。

 

調香師がいくら注意深く香油を作ったとしても、「死んだハエ」が一匹でも落ちてしまえば台無しだ。

そのように、「少しの愚かさ」、すなわち少しの罪が落ちてしまったなら、それは「知恵や栄誉」よりも重く沈んで、わたしたちの心を腐らせる。

 

問題は、強い毒物や、大きな異物ではなく、一匹の「死んだハエ」だ。

 

穴を掘る者は自らそこに落ち、石垣を崩す者は蛇にかまれる。(8)

 

小さな穴掘りごっこのつもりだったかもしれない。

ふざけ半分で石垣を崩していたのかもしれない。

しかし、それが命取りになる。

 

知恵のある者が口にすることばは恵み深く、愚かな者の唇は自分自身を呑み込む。彼が口にすることばの始まりは、愚かなこと、彼の口の終わりは、悪しき狂気。(12-13)

 

「死んだハエ」は、わたしたちの言葉にも入りかねない。

ほんのわずかの腐った言葉が、自分自身を呑み込み、悪しき狂気へと陥らせる。

 

怠けていると天井が落ち、手をこまねいていると雨漏りがする。(18)

 

「死んだハエ」は、わたしたちの怠け心にも巣くっている。

まだ大丈夫だろう、これくらい何てことないさ、そのように危険を小さく見て侮ってしまう。

 

心の中でさえ、王を呪ってはならない。寝室でも、富む者を呪ってはならない。なぜなら、空の鳥がその声を運び、翼のあるものがそのことを告げるからだ。(20)

 

「小さなハエ」は、心の中の声にもしのび込む。

隠れた呪いの声も、鳥が運ぶかのように遠くまで広まってしまう。

 

悪魔と悪霊どもが吹き込んでくる「小さなハエ」を、油断せずに見張ろう。

 

何を見張るよりも、あなたの心を見守れ。いのちの泉はこれから湧く。(箴言4:23)

 

同じように、舌も小さな器官ですが、大きなことを言って自慢します。見なさい。あのように小さな火が、あのように大きな森を燃やします。(ヤコブ3:5)

 

 

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