逆境の日にはよく考えよ
順境の日には幸いを味わい、逆境の日にはよく考えよ。これもあれも、神のなさること。後のことを人に分からせないためである。(伝道者7:14)
人生には「順境の日」もあれば「逆境の日」もある。
良い日もあれば、悪い日もある。
楽しい日もあれば、苦しい日もある。
そして、人を鍛え、成長させるのは、たいてい「逆境の日」だ。
祝宴の家に行くよりは、喪中の家に行くほうがよい。そこには、すべての人の終わりがあり、生きている者がそれを心に留めるようになるからだ。(2)
わたしの師はよく、葬儀のメッセージでこう語っていた。
「結婚式よりも、ほんとうは葬儀のほうがめでたい。結婚式はこの先心配だらけだけど、葬儀はもう大丈夫、ゴールインした、万歳」
そして、「葬儀は故人のためのものじゃない。残された者たちのためです。一番大切なことを考えるためです」とも。
悲しみは笑いにまさる。顔が曇ると心は良くなる。知恵のある者の心は喪中の家にあり、愚かな者の心は楽しみの家にある。(4)
「笑い」と「楽しみ」だけで、人生を生きることはできない。
少なくとも、知恵ある者にはなれない。
事の終わりは、その始まりにまさり、忍耐は、うぬぼれにまさる。(8)
辛いかもしれない。
おもしろくないかもしれない。
しかし、それは忍耐の時だ。
軽々しく心を苛立たせてはならない。いらだちは愚かな者の胸にとどまるから。「どうして、昔のほうが今より良かったのか」と言ってはならない。このような問いは、知恵によるのではない。(9-10)
心を苛立たせるのは簡単だ。
「昔は良かった」と嘆くのも簡単だ。
しかし、「神のみわざ」を見よと、伝道者は言う。
神のみわざに目を留めよ。神が曲げたものをだれがまっすぐにできるだろうか。順境の日には幸いを味わい、逆境の日にはよく考えよ。これもあれも、神のなさること。後のことを人に分からせないためである。(13-14)
いっさいを支配しておられるのは神である、ということだろう。
そこに思いを留めよ、と。
最後に、ヤコブの勧めを聞こう。
神に近づきなさい。そうすれば、神はあなたがたに近づいてくださいます。罪人たち、手をきよめなさい。二心の者たち、心を清めなさい。嘆きなさい。悲しみなさい。泣きなさい。あなたがたの笑いを悲しみに、喜びを憂いに変えなさい。主の御前でへりくだりなさい。そうすれば、主があなたがたを高く上げてくださいます。(ヤコブ4:8-10)