すべての営みに時がある
すべてのことには定まった時期があり、天の下のすべての営みには時がある。(伝道者3:1)
この章も、大変有名な箇所だ。
「時がある」という言葉を連ねながら、人の生き死にを描いている。
しばらく味わってみよう。
生まれるのに時があり、死ぬのに時がある。
植えるのに時があり、植えた物を抜くのに時がある。
殺すのに時があり、癒やすのに時がある。
崩すのに時があり、建てるのに時がある。
泣くのに時があり、笑うのに時がある。
嘆くのに時があり、踊るのに時がある。
石を投げ捨てるのに時があり、石を集めるのに時がある。
抱擁するのに時があり、抱擁をやめるのに時がある。
求めるのに時があり、あきらめるのに時がある。
保つのに時があり、投げ捨てるのに時がある。
裂くのに時があり、縫うのに時がある。
黙っているのに時があり、話すのに時がある。
愛するのに時があり、憎むのに時がある。
戦いの時があり、平和の時がある。(2-8)
人生山あり谷ありというが、良い時もあれば、悪い時もある。
当たり前のことなのに、いつの間にか良い事ばかりを求めている。
正しい生き方をすれば、主に祈り信仰に生きれば、祝福として良い事が続くと思っている。
かならずしも聖書は、そんなことを言っていないにもかかわらず。
上のみことばを読みながら、わたしは慰められる思いがした。
しんどくても、辛くても、いまはそういう“時”なのだと受けとめられる気がする。
主を信頼し、静まろう。
神のなさることは、すべて時にかなって美しい。(11)