貧しさも富も私に与えず
二つのことをあなたにお願いします。私が死なないうちに、それをかなえてください。むなしいことと偽りのことばを、私から遠ざけてください。貧しさも富も私に与えず、ただ、私に定められた分の食物で、私を養ってください。私が満腹してあなたを否み、「主とはだれだ」と言わないように。また、私が貧しくなって盗みをし、私の神の御名を汚すことのないように。(箴言30:7-9)
30章は、「アグルのことば」とされている。
どういう人物かは不明のようだ。
ただ、独特の表現が多く、読み応えがある。
彼は、「二つのこと」を神に願った。
一つは、「むなしいことと偽りのことば」を遠ざけていただくことだ。
「むなしいこと」とは、実を結ばないわざのことと言える。
「わたしの枝で実を結ばないものはすべて、父がそれを取り除き、実を結ぶものはすべて、もっと多く実を結ぶように、刈り込みをなさいます。」(ヨハネ15:2)
わたしたちが何げなく過ごす“今日”という一日は、過去に生きた人々が心から生きることを願った一日だ、という言葉を聞いた。
空虚な日を重ねることの恐ろしさ。
空虚の反対は「充実」だ。
実が充ちると書く。
実を結ぶ歩みに変えていただこう。
二つ目は、「貧しさも富も私に与えず」に、必要な食物で養っていただくことだ。
たしかに、もしわたしが富者だったら、間違いなく「主とはだれだ」と言っていたと思う。
実際、世にはそのような人が五万といる。
さらに、貧しかったらどうだろう。
世を憎み、すねみ、盗みもしたもしれない。
貧困が原因でさまざまな悲しむべき事件が起きているのも、周知のとおりだ。
「貧しさも富も私に与えず」という祈りは、自分を神の御前にへりくだらしめ、同時に誤った自己憐憫からも守ってくれる。
素晴らしい祈りだと思う。
「ですから、何を食べようか、何を飲もうか、何を着ようかと言って、心配しなくてよいのです。これらのものはすべて、異邦人が切に求めているものです。あなたがたにこれらのものすべてが必要であることは、あなたがたの天の父が知っておられます。」(マタイ6:31-32)