みつばさのかげ

一日一章、聖書のみことばから感動したこと、考えさせられたことなどを綴ります。

へつらいの唇と傲慢の舌

主が、へつらいの唇と傲慢の舌をことごとく断ち切ってくださいますように。(詩篇12:3)

 

この詩篇のテーマは、「唇」「言葉」だ。

 

主よ。お救いください。敬虔な人は後を絶ち、誠実な人は人の子らの中から消え去りました。(1)

 

時代はどんどん悪くなる一方だ、神を敬う敬虔で誠実な人はすっかりいなくなった、とダビデは嘆く。

聖書によれば、終わりの時が近づくほど、ますます人は堕落する。

ならば、ダビデの時代から三千年を経たいまのほうが、当時よりはるかに悪いといえよう。

 

終わりの日には困難な時代が来ることを、承知していなさい。そのときに人々は、自分だけを愛し、金銭を愛し、大言壮語し、高ぶり、神を冒涜し、・・・(2テモテ3:1-2)

 

さらに、ダビデは嘆く。

 

人は互いにむなしいことを話し、へつらいの唇と、二心で話します。(2)

 

「二心」について、パウロは次のように書いた。

 

彼らは、神を知っていると公言しますが、行いでは否定しています。(テトス1:16)

 

またヤコブは、行いのともなわない信仰を厳しく非難しながら、こう書いている。

 

神に近づきなさい。そうすれば、神はあなたがたに近づいてくださいます。罪人たち、手をきよめなさい。二心の者たち、心を清めなさい。(ヤコブ4:8)

 

そして冒頭の3節だ。

こう読んでくると、この詩篇は悪者に対する言葉でありながら、同時に読み手にも問うてくるものだと気づかされる。

 

「主が、(私から)へつらいの唇と傲慢の舌をことごとく断ち切ってくださいますように」。

 

彼らはこう言っています。「われらはこの舌で勝つことができる。この唇はわれらのものだ。だれが、われらの主人なのか。」(4)

 

傲慢の舌の奥底には、神のご支配を払いのけようとする恐ろしい罪の性質が巣くっている。

 

主のことばは、混じり気のないことば。土の炉で七度試され、純化された銀。(6)

 

人間とは違い、主のことばは裏表がなく、純粋で、信頼できるものだ。

 

どうすれば、へつらい、傲慢、二心から解放され、真実な唇の者となれるのだろうか?

真実なことばである聖書に親しむことによってではないだろうか。

 

ああ、それにしても、言葉の失敗が多いわたしです。

主よ、どうぞ、へつらいの唇と傲慢の舌を、わたしからことごとく断ち切ってください。

 

聖書はすべて神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練のために有益です。神の人がすべての良い働きにふさわしく、十分に整えられた者となるためです。(2テモテ3:16-17)

 

 

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