麗しさは偽り
麗しさは偽り。美しさは空しい。しかし、主を恐れる女はほめたたえられる。(箴言31:30)
1ヶ月にわたって味わってきた『箴言』も、今回で最後だ。
31章の最初には、こうある。
マサの王レムエルが母から受けた戒めのことば。(1)
つまりこの章は、珍しく母から息子への格言である。
その点に留意しながら読むと、興味深い。
あなたの力を、女たちに費やしてはいけない。王を滅ぼす者たちに、歩みを委ねてはいけない。(3)
「私の子よ、何を語ろうか」(2)と自問して、最初に出てきた言葉がこれだ。
「女」の恐ろしさは男より女の方がよく知っている、ということだろう。
さらに「酒」に関する注意と(4-7)、弱者のためにさばくこと(8-9)を語った後、結婚について多くを述べる。
テーマは、“どのような女性を妻に選ぶべきか”だ。
しっかりした妻をだれが見つけられるだろう。彼女の値打ちは真珠よりもはるかに尊い。(10)
それは真珠よりも高価で、かつ見つけるのが難しい。
理想の妻の資質として強調されるのは“勤勉さ”だ。
彼女はその一生の間、夫に良いことをし、悪いことをしない。羊毛や亜麻を手に入れ、喜んで自分の手でそれを仕上げる。・・・夜明け前に起きて、家の者に食事を整え、召使いの女たちに用事を言いつける。よく調べて畑を手に入れ、自分の稼ぎでぶどう畑を作り、腰に力強く帯を締め、腕に力を入れる。(12-17)
浮かび上がるのは、慎ましくも逞しく、力強い肝っ玉母ちゃんだ。
収入が良いのを味わい、そのともしびは夜になっても消えない。糸取り棒に手を伸ばし、手に糸巻きをつかむ。苦しむ人に手を差し出し、貧しい人に手を差し伸べる。(18-20)
力強いだけでなく、品があり、思慮深い。
力と気品をまとい、ほほえみながら後の日を待つ。知恵をもって口を開き、その舌には恵みのおしえがある。(25-26)
これまで『箴言』に出てきた「女」たちとは大違いだ。
妻のいさかい好きは、滴り続ける雨漏り。(箴言19:13)
争い好きな女と一緒に家にいるよりは、屋上の片隅に住むほうがよい。(箴言25:24)
夫や子らも、称賛する。
その子たちは立ち上がって彼女をたたえ、夫も彼女をほめたたえて言う。「力ある働きをする女は多いが、あなたは、そのすべてにまさっている」と。(28-29)
そして、冒頭にあげた30節となる。
麗しさは偽り。美しさは空しい。しかし、主を恐れる女はほめたたえられる。(30)
王の母が息子にもっとも言いたかったのが、このことではなかろうか。
「麗しさ」は、しばしば作り出された嘘偽りです。
並外れた「美しさ」を持っているとしても、それは年月とともに変わりゆくものです。
「主を恐れる女」こそ伴侶として選ぶにふさわしい女性なのですよ、と。
すばらしいアドバイスだ。
きっとこの母親自身が、そのような女性だったにちがいない。
彼女の手が稼いだ実を彼女に与え、そのわざを町囲みの中でほめたたえよ。(31)