高ぶりはその人を低くし
人の高ぶりはその人を低くし、へりくだった人は誉れをつかむ。(箴言29:23)
「『高ぶれば低くされ、へりくだれば高くされる』、これが聖書全体の重要なメッセージです」と、わたしの師はよく語っておられた。
何度も聞いているにもかかわらず、何度も心に留めなければならない。
それほど人は、高ぶりやすい。
なぜ人は高ぶるのだろうか。
一つには、「高ぶり」が罪の本質そのものだからだ。
サタンは神に対して高ぶり、サタンとなった。
そのサタンが人間を惑わし、神に高ぶる罪へと引きずり込んだ。
もう一つには、罪の結果として神の愛を見失った人間は、人間からの承認(評価)を求めるようになった。
他者の上に立ち、他者を見下すことで、それを満たそうとするようになった。
これら神に対する高ぶりと人に対する高ぶりが、人間に沁みついていると言えるのではないだろうか。
幼児は、ぼくはこんなに高い所に上がれるんだぞ、こんなにすごいオモチャを持っているんだぞ、と自慢する。
大人の高ぶりも、基本的に変わらない。
ザアカイは、人からお金を騙し取って大金持ちとなった。
しかし、友だちはいなかった。
高ぶりの結果として、低くされたのだ。
イエスが彼のところに来られたことで、彼は悔い改め、変えられた。
その結果、彼は救われ、祝福を得た。
お金儲けや財産を持つことが悪いのではない。
それによって他者を見下そうとすることが、間違いなのだ。
自らの心を、つねに吟味したいものである。
ザアカイは立ち上がり、主に言った。「主よ。ご覧ください。私は財産の半分を貧しい人たちに施します。だれかから脅し取った物があれば、四倍にして返します。」(ルカ19:8)