滅び失せる獣に等しい
人は栄華のうちにあっても、悟ることがなければ、滅び失せる獣に等しい。(詩篇49:20)
49篇は、知恵者が国々に語りかけることばになっている。
すべて国々の民よ、これを聞け。すべて世に住む者よ、耳を傾けよ。低い者も高い者も、富む者も貧しい者も、ともどもに。私の口は知恵を語り、私の心は英知を告げる。(1-3)
どこかソロモン王のことばを思わせる出だしだ。
なぜ、私はわざわいの日々に、恐れなければならないのか。私のかかとを狙う者の悪意が、私を取り囲むときに。彼らは、自分の財産に拠り頼み、豊かな富を誇っている。(5-6)
人は富者をうらやむが、それは同時に「恐れ」にもつながる。
金持ちだ、資産家だ、というだけで、何か偉大な力を持つかのように思ってしまう。
恐れるな。人が富を得ても、その人の家の栄誉が増し加わっても。(16)
知恵者は、どんなに偉大に見える成功者であっても「恐れるな」と呼びかける。
なぜか?
人は死ぬとき、何一つ持って行くことはできず、その栄誉も、その人を追って下ることはない。(17)
彼は見る。知恵のある者たちが死に、愚かな者、浅はかな者も等しく滅び、自分の財産を他人に残すのを。彼らの心の中では、その家は永遠で、住まいは代々に及ぶ。彼らは、土地に自分たちの名をつける。しかし、人は栄華のうちにとどまれない。人は滅び失せる獣に等しい。(10-12)
どんなに栄えようと、代々に渡って続くと考えようと、自分たちの名をつけようと、獣同様に人はみな土に帰る。
なんということだろう。
かつて世界にその名をとどろかせた家々も、みな滅び失せた。
これが現実だ。
ただ、主なる神に連なる者だけが、この空しさから解放される。
しかし、神は私のたましいを贖い出し、よみの手から、私を奪い返してくださる。(15)
知恵者は言う。
人は栄華のうちにあっても、悟ることがなければ、滅び失せる獣に等しい。(20)
何を恐れるべきであり、何が悟りであるのか?
ソロモン王が、こう教えてくれている。
主を恐れることは知恵の初め、聖なる方を知ることは悟ることである。(箴言9:10)