みつばさのかげ

一日一章、聖書のみことばから感動したこと、考えさせられたことなどを綴ります。

国に背きがあるときは

国に背きがあるときは、首長が多くなるが、判断力と知識のある一人の人により、安定は続く。(箴言28:2)

 

「国に背きがあるとき」とは、国内が混乱状態にあるときという意味であろう。

日本の歴史でいえば、戦国時代などがそれに当たる。

そういうときはあちこちに「首長」が現れるが、「判断力と知識のある一人の人」、戦国時代なら徳川家康(?)のような人により、安定する。

さて、いまの日本はどうだろうか。

 

利息や高利によって財産を増やす者は、貧しい者たちに恵む者のためにそれを蓄える。(8)

 

貧しい者たちに恵むために蓄えるのではなく、「貧しい者たちに恵む者のために」蓄える。

ここは、新共同訳がわかりやすい。

 

利息、高利で財産を殖やす者は、集めても、弱者を憐れむ人に渡すことになろう。(8・新共同訳)

 

今の世においては、「利息や高利によって財産を殖やす者」は賢い人として扱われる。

しかし、それも結局は弱者に施す人のもとに渡るよ、と聖書は戒めている。

どっちみち、そんなゆとりもないわたしには羨ましいばかりだが。

 

人を偏り見るのは良くない。人は一切れのパンで背く。(21)

 

「人を偏り見る」傾向のある人は、依存的傾向が強い人ではないだろうか。

かく言うわたしがそうだから、よくわかる。

承認欲求が強いとも言える。

 

そういう人は、常に人を敵か味方かと二元論的に見てしまう。

「これほど素晴らしい人はいない」と思っていたのに、いつの間にか「もう会わなくて結構」となったりして、良い関係が長続きしない。

 

「人は一切れのパンで背く」、つまり人間は、自分も含めて、かんたんに変わってしまうということだ。

人を信じないわけではないが、人とはそういう者だとわきまえておく、それが大事なのだろう。

 

欲の深い人は争いを引き起こす。しかし、主に依り頼む人は豊かにされる。(25)

 

 

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