貧しくても誠実に歩む者
貧しくても誠実に歩む者は、唇の曲がった愚かな者にまさる。(箴言19:1)
「貧しくても誠実に歩む者」、このひとことだけで大きな力を与えられる。
みことばは食べるものと言われるが、そのとおりだ。
たったワンフレーズが、その日を歩む力となる。
富んでいて不誠実な歩みをしたいか、貧しくても誠実な歩みをしたいか。
ただ人の世の難しいところは、誠実に見えて不誠実だったり、不誠実に見えて誠実だったりすることだ。
まあ、それは他人事。
自分はどう歩みたいのかを問おう。
愚かな息子は父にとって破滅。妻のいさかい好きは、滴り続ける雨漏り。(13)
この後段は、思わず笑ってしまう。
やはりソロモンは相当こりごりな経験をしたのだろうかといぶかりたくなる。
息子が悩みの種という人は多いだろうが、妻が悩みの種という人も多いのだろうか。
家と財産は先祖から受け継ぐもの。賢明な妻は主からのもの。(14)
今度は正反対の人だ。
たしかに「家と財産」は、先祖から相続する。
しかし「妻」を相続することはない。
「賢明な妻は主からのもの」、あらためて感謝しよう。
貧しい者に施しをするのは、主に貸すこと。主がその行いに報いてくださる。(17)
驚いたことに、わたしたちは「主に貸す」ことができる。
人間に貸しても返してもらえるかどうかこころもとないが、主に貸すなら、かならず返ってくる。
きょう、何か「主に貸す」ことはできるだろうか。
きっと、いたるところにそのチャンスはある。
何をするにも、人に対してではなく、主に対してするように、心から行いなさい。(コロサイ3:23)