みつばさのかげ

一日一章、聖書のみことばから感動したこと、考えさせられたことなどを綴ります。

自分の日を数える

どうか教えてください。自分の日を数えることを。そうして私たちに、知恵の心を得させてください。(詩篇90:12)

 

90篇の表題は、「神の人モーセの祈り」となっている。

 

主よ、代々にわたって、あなたは私たちの住まいです。山々が生まれる前から、地と世界を、あなたが生み出す前から、とこしえからとこしえまで、あなたは神です。(1-2)

 

主ご自身が「私たちの住まい」だ。

わたしたちは、主の御手の中に生き、動き、存在している。

 

あなたは人をちりに帰らせます。「人の子らよ、帰れ」と言われます。まことに、あなたの目には、千年も、昨日のように過ぎ去り、夜回りのひと時ほどです。(3-4)

 

人は、ちりから造られ、ちりに帰る。

主が「帰れ」と言われた時に。

 

私たちのすべての日は、あなたの激しい怒りの中に消え去り、私たちは、自分の齢を、一息のように終わらせます。私たちの齢は七十年。健やかであっても八十年。そのほとんどは、労苦とわざわいです。瞬く間に時は過ぎ、私たちは飛び去ります。(9-10)

 

若いときは、人生は無限にあるような気がしていた。

50代のいま、残りの日数を意識するようになった。

70、80といった人たちはなおさらだろう。

 

「私たちの齢は七十年。健やかであっても八十年」、いまは多少寿命も延びてはいるが、よほど健やかであっても百年だ。

「そのほとんどは、労苦とわざわい」であり、加えて不安と後悔もおびただしい。

 

どうか教えてください。自分の日を数えることを。(12)

 

受験生は「試験日まで残り〇日」と数える。

スポーツ選手も「大会まで残り〇日」と数える。

しかし、だれもそのように人生の残りを数えることはできない。

もし、あなたはこの日までですよと、“最終日”がはっきりわかったら、日々の歩みはどう変わるだろうか。

 

「自分の日を数える」とは、結局、神と人の前に誠実に歩み、意義ある日を重ねるということではないだろうか。

空しく過ぎ行くだけの日々を改めて。

 

朝ごとに、あなたの恵みで私たちを満ち足らせてください。私たちのすべての日に、喜び歌い、楽しむことができるように。(14)

 

エスさまは「日ごとの糧をきょうも与え給え」と祈るよう教えられたが、食糧だけでなく、霊的な糧も同じだ。

そのためには、「朝」の時間が大切になる。

 

私たちのために、私たちの手のわざを、確かなものにしてください。どうか、私たちの手のわざを、確かなものにしてください。(17)

 

これもまた、意義ある日々を重ねるという意味だと思う。

 

主よ。

今日の日を、あなたの御前に、人の前に、誠実かつ健やかに歩ませてください。

天の故郷に帰るその日まで、確かな日々を重ねることができますように。

アーメン。

 

「ですから、明日のことまで心配しなくてよいのです。明日のことは明日が心配します。苦労はその日その日に十分あります」(マタイ6:34)

 

 

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