神の恵みに拠り頼む
しかし私は、神の家に生い茂るオリーブの木。私は世々限りなく、神の恵みに拠り頼む。(詩篇52:8)
何を誇るかで、その人が分かる。
それは、その人が何に拠り頼んでいるかを示している。
勇士よ、なぜおまえは悪を誇りとするのか。(1)
たしかに人は、「悪を誇りとする」。
どれだけ裏社会に通じているか、どれだけ若い頃“やんちゃ”をしたか、そしてどれだけ神を頼ろうとしていないか。
面白いもので、そういったことは、どこかかっこ良く見えるものだ。
しかし、神のさばきは正しく下される。
欺きの舌よ、おまえはあらゆる滅びのことばを愛している。だが神は、おまえを打ち砕いて倒し、幕屋から、おまえを引き抜かれる。生ける者の地から、おまえは根絶やしにされる。(4-5)
神を拠り所とする者たちは、それを見る。
正しい人たちは見て、恐れ、彼に向かって笑う。「見よ、彼こそは神を力とせず、自分の大きな富に頼り、破滅のわざを勝ち誇る者。」(6-7)
悪者は、「自分の大きな富」に頼った。
わたしはどうだろう?
大きな富は残念ながら持ち合わせないが、似たような何かを頼ってはいないだろうか。
過去の経験、知識、人脈、信仰年数など。
心のどこかでそれらを誇り、それらに信頼しようとする自分があることを見出す。
言葉を換えれば、「自信」があるのだ。
これが信仰の妨げとなる。
わたしたちに必要なのは、自分は大丈夫という「自信」ではなく、主は守ってくださるという「確信」だ。
しかし私は、神の家に生い茂るオリーブの木。私は世々限りなく、神の恵みに拠り頼む。(8)
「神の恵みに拠り頼む」、この態度を新しくしよう。
かつてイスラエルの民は、数十年に渡り放浪したが、彼らを養ったのは天からのマナであった。
マナは消費期限が一日で、保存が効かなかった。
仮に多く集めたとしても、翌日には腐ったのだ。
そうして彼らは、日々、神の恵みに拠り頼むことを学んだ。
わたしもまた、日々、マナを必要とする旅人だ。
誇りや自信を捨て、神の恵みにのみ拠り頼もう。
私は、とこしえに感謝します。あなたのみわざのゆえに。私はあなたにある敬虔な人たちの前で、すばらしいあなたの御名を待ち望みます。(9)
私たちは見えるものによらず、信仰によって歩んでいます。(2コリント5:7)