みつばさのかげ

一日一章、聖書のみことばから感動したこと、考えさせられたことなどを綴ります。

自らを閉ざす者

自らを閉ざす者は自分の欲望のままに求め、すべての知性と仲たがいする。(箴言18:1)

 

読んだ瞬間、ドキッとした。

まさに、わたしのことではなかろうかと。

 

「自らを閉ざす者」が、直訳では「自分を人から分離させる者」であるのを見て、さらにそう思った。

 

わたしは、昔から、他人に対して自分をさらけ出すことができない。

どこか取り繕ったり、かっこつけたり、肩肘張ったり、何かしら装っている。

もしかすると、あなたもそうだろうか。

 

だから、天真爛漫に自分をさらけ出し、それでいて人から愛され(だから愛されるのだろうが)、屈託なく生きている人を見ると、心から羨ましくなる。

これは性格でもあろうから、どうすれば直るだろうかと悩んでいるうちに、地上生涯を終えそうな気がする。

 

18章を読み進むと、またドキッとする言葉に出会った。

 

人の心の高慢は破滅に先立ち、謙遜は栄誉に先立つ。(12)

 

自分をさらけ出せない一つの大きな要因は、自らの「高慢」にあると思う。

人を寄せつけないような、近寄りがたい雰囲気を出していることだろう。

 

反抗する兄弟は堅固な城よりも近寄りにくい。争いは宮殿のかんぬきのようだ。(19)

 

「宮殿のかんぬき」のように、自分の心を大きく閉ざしているのだ。

 

つい先日、インスタグラムでこんな記事を見た。

「道を聞かれる人間になりなさい」とおばあちゃんから教えられた、というのだ。

ほがらかな表情で安心感があり、心が開かれていて信頼できそうな人になれと理解した・・・というような内容だった。

 

そう言えば、わたしの妻はよく道を聞かれる。

ふつうにしていても、笑ったような顔をしている。

わたしは反対に、機嫌良くしていても「怒っているの?」と言われてしまう。

 

道のりは長いが、少しずつでも心開かれた人間に変われるよう祈る。

 

ペテロが着くと、コルネリウスは迎えに出て、足もとにひれ伏して拝んだ。するとペテロは彼を起こして、「お立ちください。わたしも同じ人間です」と言った。(使徒10:25-26)

 

 

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