乾いたパンが一切れあって
乾いたパンが一切れあって平穏なのは、ごちそうと争いに満ちた家にまさる。(箴言17:1)
結婚した人への色紙に、よく書いたみことばだ。
たしかにその通りだ。
どんなに豊かで、毎日ごちそう三昧であっても、家族間の関係が冷え切り、けんかばかりしているなら、幸福とはいえない。
とはいえ、わたしのような“ひねくれ者”は、「一切れのパン」しかなくて果たして平穏でいられるだろうか、などと考えてしまう。
明日が不安にならないだろうか。
自分がみじめにならないだろうか。
ごちそうを食べたいと泣きたくならないだろうか。
「一切れのパン」で平穏にいる人は、どんな人だろう。
第一に、感謝している人だ。
「きょうも、これっぽっちか」などと落ち込まない。
「ああ、ありがたい、きょうもパンがある」と感謝している。
第二に、他人と比べない人だ。
「あそこの家は、しょっちゅうごちそうが並んで、高級ワインを飲んでいる。それに比べて我が家は・・・」ということはない。
第三に、隣人と愛し合っている人だ。
妻(夫)や子どもたちを愛し、ぜいたく品はないが、争い事もなく、穏やかな空気が流れている。
15章には、こういうみことばもあった。
野菜を食べて愛し合うのは、肥えた牛を食べて憎み合うのにまさる。(17)
他人と比べず、与えられているものに感謝し、家族と仲睦まじく過ごす。
そんな暮らしを祈り求めたい。
金銭を愛する生活をせずに、今持っているもので満足しなさい。主ご自身が「わたしは決してあなたを見放さず、あなたを見捨てない」と言われたからです。(ヘブル13:5)