あなたのわざを主にゆだねよ
あなたのわざを主にゆだねよ。そうすれば、あなたの計画は堅く立つ。(箴言16:3)
この「ゆだねよ」という言葉は、直訳では「転がせ」だそうだ。
あなたのわざを主に転がせ。そうすれば、あなたの計画は堅く立つ。
おもしろい表現だ。
聖書のほかの「ゆだねよ」も同じなのだろうか。
いずれにせよ、言葉の意味において、そのような捉え方をしたことはなかった。
「転がす」とは、どういうことだろうか?
第一に、「転がす」とは手離すことだ。
何かを持ったままで転がすことはできない。
手離すことは、転がすための大前提だ。
主に転がすためには、自分のわざから手を離す必要がある。
第二に、「転がす」とは目に見えぬ重力を信じることだ。
重力があるから転がる、それを信じるからこそ手を離す。
目に見えない主の力が働いてくださると信じるから、転がすことができる。
第三に、「転がす」とは見守ることだ。
転がしたあと、さっさと目を離して立ち去ることはしない。
どう転がるだろうかと、静かに見守る。
主に転がしたあとに、「あー、やっぱり違う、違う」などと追いかけて手を出すことはないだろうか。
主を信頼して見守ることが、転がすことだ。
16章には、つぎのようなみことばもある。
人は心に計画を持つ。しかし、舌への答えは主から来る。(1)
人は心に自分の道を思い巡らす。しかし、主が人の歩みを確かにされる。(9)
わたしたちは、あれやこれやと計画し、わざを成す。
そのとき、“ゴリ押し”するのではなく、主に“転がす”という心を持っていたいと思う。
主よ、自分のわざをあなたに転がすことを、学ばせてください。
アーメン。
くじは膝に投げられるが、そのすべての決定は主から来る。(33)