愛は自慢せず
愛は自慢せず、高慢になりません。(1コリント13:4)
パウロは、12章で「御霊の賜物」について述べてから、最後にこう書いた。
あなたがたは、よりすぐれた賜物を熱心に求めなさい。私は今、はるかにまさる道を示しましょう。(1コリント12:31)
その「はるかにまさる道」とは、ひとことで言えば「愛」だ。
13章は「愛の章」として、よく知られる。
何度読んでも、あまりに崇高で、自分とかけ離れていて、ため息が洩れる。
特に今回は、冒頭の4節が刺さった。
愛は自慢せず・・・
別に、「謙遜は自慢せず」でも良さそうなものだ。
しかし、それではたんにその人だけで完結するものになってしまう。
「愛は自慢せず」となったとき、他者との関係でのことになる。
「自慢せず、高慢にならない」のは、ただ偉そうにしないということではなく、他者が不快に感じるような態度を取らないということだ。
だから、続いてこうある。
礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、・・・(5)
パウロはこの手紙で、一貫して、他者に配慮すること、自分の利益より他者の利益を考えるべきことを訴えてきた。
つねに基準は、自分ではなく他者にある。
それをひとことで言うと「愛」であり、それが「大人」の世界なのだ。
私は、幼子であったときには、幼子として話し、幼子として思い、幼子として考えましたが、大人になったとき、幼子のことはやめました。(11)
わたしが高慢な態度をとり、自慢げに語るとき、他者だけでなく、御霊も不快に感じられる。
悪いことばを、いっさい口から出してはいけません。むしろ、必要なときに、人の成長に役立つことばを語り、聞く人に恵みを与えなさい。神の聖霊を悲しませてはいけません。(エペソ4:29-30)
パウロは、「よりすぐれた賜物を熱心に求めよ」と書いた。
だから、落胆しないで、熱心に求めよう。
わたしが、ほんとうの愛の人間に変えられるように。
配慮に欠けた、愛のない言動から遠ざかることができるように。
この命令が目指す目標は、きよい心と健全な良心と偽りのない信仰から生まれる愛です。(1テモテ1:5)