明日のことを誇るな
明日のことを誇るな。一日のうちに何が起こるか、あなたは知らないのだから。(箴言27:1)
27章も、印象的な格言がたくさん出てくる。
「明日のことを誇るな」。
いったい、「明日のこと」を誇る人がいるだろうか。
人が誇るのは、たいてい「昨日のこと」「過去のこと」ではないだろうか。
では、「夢を語る」のはどうか。
夢をもって生きることや夢を語ることは、いまの世において素晴らしいことと受け取られる。
たしかに、それは人を前進させる力になるし、夢も希望もなく生きるよりは良いかもしれない。
しかし、その「夢を語る」態度に何らかの「誇り」が混ざっているなら、主の忌み嫌われるところとなるだろう。
自分はこんなにすごいのだ、こんなに大きな人間なんだ、ほかの人間とは違うのだ・・・。
そんな思いが潜んでいるなら、それは「明日のことを誇る」態度になる。
「一日のうちに何が起こるか、あなたは知らない」。
たしかに、そのとおりだ。
もしかすると、夢どころではなくなる事態に陥るかもしれないし、命があるかどうかすら確かではない。
その点だけ考えても、人はみな、神の前に謙虚になる必要がある。
自分の口でではなく、ほかの者にあなたをほめさせよ。自分の唇でではなく、よその人によって。(2)
聖書はあきらかに、周囲からの“評判の良い”生き方をせよと語っている。
周囲の目を気にしろとか、人に取り入れというのではなく、周りの人からほめられるような生き方をせよということだ。
新約聖書には、こういうみことばもある。
自分自身を推薦する人ではなく、主に推薦される人こそ本物です。(2コリント10:18)
明日を誇ることや自分をほめることの愚かしさ。
これらは気づきにくく、いつの間にかそうなっていることもあると思う。
自戒させられるみことばである。
顔が、水に映る顔と同じであるように、人の心は、その人に映る。(19)