みつばさのかげ

一日一章、聖書のみことばから感動したこと、考えさせられたことなどを綴ります。

自分の喉に短刀を当てよ

あなたが支配者と食事の席に着くときは、前にある者によく注意するがよい。あなたが食欲の盛んな人であるなら、自分の喉に短刀を当てよ。そのごちそうを欲しがってはならない。それは偽りの食物である。(箴言23:1-3)

 

「自分の喉に短刀を当てよ」、このことばをわたしは何となく、“食べ過ぎ”に対する警告のようにとらえていた。

しかし前後の節を読むと、そうではなく、自分を騙そうとする者の“罠”に対する警告だとわかる。

 

「支配者」は、力づくで支配しようとするばかりではない。

相手の欲を刺激し、自分に逆らえない状況を作ることで取り込んでいく。

 

人はみな、どんなにしっかりしているように見えても欲には弱い。

 

大酒飲みや、肉を貪り食う者と交わるな。大酒飲みや、貪り食う者は貧しくなり、惰眠を貪る者は、ぼろをまとうようになるからだ。(20-21)

 

ぶどう酒が赤いとき、杯の中で輝くとき、滑らかにこぼれるとき、それを見てはならない。後になると、これが蛇のようにかみつき、まむしのように刺す。(31-32)

 

もちろん、欲とは飲食の欲だけではない。

情欲もまた恐ろしい。

 

遊女は深い穴、見知らぬ女は狭い井戸だから。その女は強盗のように待ち伏せ、人々の間に裏切り者を増やす。(27-28)

 

これらの欲に呑み込まれた結果は悲惨だ。

 

あなたの目は異様な物を見、あなたの心はねじれごとを語り、海の真ん中で寝ている人のように、帆柱のてっぺんで寝ている人のようになる。「私は打たれたが、痛くなかった。殴られたが、知らなかった。いつ、私は目を覚ますだろうか。もっと飲みたいものだ。」(33-35)

 

死と紙一重の危険な所にいながらまったく自覚がなく、罪の毒の痛みにも無感覚になっている。

大事なのは、最初のひと口だ。

喉に短刀を当てるべき、そのときだ。

 

「誘惑に陥らないように、目を覚まして祈っていなさい。霊は燃えていても肉は弱いのです。」(マタイ26:41)

 

 

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