みつばさのかげ

一日一章、聖書のみことばから感動したこと、考えさせられたことなどを綴ります。

怒りっぽい者と交わるな

怒りっぽい者と交わるな。激しやすい者と一緒に行くな。あなたがその道に倣って、自分が罠にかからないために。(箴言22:24-25)

 

怒りっぽいことに対する警告ではなく、怒りっぽい者と交流することへの警告だ。

自分も同じようにならないように、それは罠になると。

 

すぐ思いつくのは、ネット上のやり取りだ。

ネットでは毎日おびただしい数の罵詈雑言、敵意、衝突が繰り広げられている。

 

敵をつくり、攻撃し、同調者を増やすのは、ひとつの手法だ。

注意しないと、あっという間に呑み込まれる。

 

ところで、子どもが癇癪を起こすのと、大人のそれとでは、なにか違うだろうか?

わたしは、たいした違いがないように思う。

癇癪を起す子どもは、きっと、おもしろくないことが多い。

親が他の兄弟をひいきにしたり、友だちから仲間はずれにされたり。

だから、腹を立てやすい。

大人も似たようなものではないか。

 

箴言には、次のようなドキッとする言葉もあった。

 

人の愚かさは自らの道を滅ぼす。その心は主に向かって激しく怒る。(箴言19:3)

 

怒りの根底に、“神に対する怒り”があるという。

ヤコブは、こう書いている。

 

人の怒りは神の義を実現しないのです。(ヤコブ1:20)

 

不正や不義に対して怒ることは大切だと思う。

しかし、そこにいつの間にか感情的な毒素が入っていないか、また、他者の毒素に染められていないか、冷静になって考えてみる必要があるだろう。

 

嘲る者を追い出せ。争いは出て行く。もめごとも辱めも終わる。心のきよさを愛し、優しく話をする者は、王がその友となる。(10-11)

 

無慈悲、憤り、怒り、怒号、ののしりなどを、一切の悪意とともに、すべて捨て去りなさい。互いに親切にし、優しい心で赦し合いなさい。神も、キリストにおいてあなたがたを赦してくださったのです。(エペソ4:31-32)

 

 

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