みつばさのかげ

一日一章、聖書のみことばから感動したこと、考えさせられたことなどを綴ります。

思慮はあなたを守り

 思慮はあなたを守り、英知はあなたを保つ。(箴言2:11)

 

箴言』全体がそうであるが、特にこの2章では、つぎのような言葉が多く使われている。

知恵、英知、知識、知性、思慮。

これらは、まことの神を信じる者の性質である。

 

ひとことで言うと、5節となる。

 

そのとき、あなたは主を恐れることをわきまえ知り、神を知ることを見出すようになる。(5)

 

「主を恐れること」「神を知ること」、これがまことの知恵であり、それは「見出す」とあるとおり、探し求めるべきものだ。

 

もしあなたが悟りに呼びかけ、英知に向かって声をあげ、銀のように、これを探し、隠された宝のように探り出すなら、・・・(3-4)

 

イザヤは神について、こう語った。

 

イスラエルの神、救い主よ。まことに、あなたはご自分を隠す神。(イザヤ45:15)

 

さて、1章と同じく、ここでも誘惑への警告がなされる。

 

また思慮と英知は、あなたをよその女から、ことばの滑らかな見知らぬ女から救い出す。この女は若いころの連れ合いを捨てて、自分の神との契約を忘れている。彼女の家は死へと、その道筋は死者の霊の国へと下る。この女のもとへ行く者はだれも帰って来ない。いのちの道に至ることはない。(16-19)

 

「女」とあることから性的な誘惑のようにも見えるが、ここではもっと広くこの世の誘惑全体を示していると思われる。

その誘惑は、「ことばの滑らか」さが特徴だ。

サタンがエバを誘惑したのも、「ことば」によった。

それは魅力的に見えるが、「死者の霊の国へと下る」。

 

いまも昔も、サタンのやり方は基本的に同じだ。

よくよく注意して、主の道を歩もう。

 

「求めなさい。そうすれば与えられます。探しなさい。そうすれば見出します。たたきなさい。そうすれば開かれます。・・・狭い門から入りなさい。滅びに至る門は大きく、その道は広く、そこから入って行く者が多いのです。いのちに至る門はなんと狭く、その道もなんと細いことでしょう。そして、それを見出す者はわずかです。」(マタイ7:7・13-14)

 

 

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