ダビデの子ソロモンの箴言
1節にあるとおり、「ダビデの子ソロモン」の格言集だ。
クリスチャン作家・三浦綾子さんは、聖書をはじめて読むなら『箴言』から読むとよい、と書いておられる。
短い格言でまとめられているので、とても読みやすく、かつ実践的なので、クリスチャンならずとも大変タメになるのだ。
主を恐れることは知識の初め。愚か者は知恵と訓戒を蔑む。(7)
「主を恐れること」、これがソロモンの言う「知恵」の核である。
これこそがいっさいの要石であり、「主を恐れること」がなければ、どんなに知識を増し加えようとむなしい。
彼のもう一つの著書、『伝道者の書』にもこうある。
結局のところ、もうすべてが聞かされていることだ。神を恐れよ。神の命令を守れ。これが人間にとってすべてである。(伝道者12:13)
『箴言』第一章で、さっそく、誘惑への警告が語られる。
わが子よ。罪人たちがあなたを惑わしても、それに応じてはならない。もし彼らがこう言っても。「一緒に来い。人の血を流すために待ち伏せしよう。咎なき者を、理由なしにひそかに狙い、よみのように、彼らを生きたままで呑み込もう。全き者たちを、墓に下る者のようにして。値打ちのある物は何でも見つけ出し、奪った物でわれわれの家を満たそう。われわれはくじで分け合い、皆で一つの金入れを持とう。」(10-14)
「罪人たち」の誘惑は、つぎのようなものだ。
1.「一緒に」やろうという
お前がやれと言われれば逃げたくもなるが、「一緒に」と言われると人はぐらつく。
大丈夫だ、みんなやってることだ、世の中とはそういうものだ、お前だけじゃないのだ・・・と。
2.人をだます
真正直なことをしていたのでは生きていけない、少々の嘘はかまわない、という誘いだ。
「生きたままで呑み込もう」とは、人をだますことでもあろう。
3.奪い取る
「奪った物で」満たそう、と言っている。
マルクスは、資本主義の本質が“搾取”であることを論証しようとした。
今日、ますますその度合いが強くなっている。
ごく一部の人間が肥え太り、搾取される側は「墓に下る者のように」なっていく。
「経済」の語源は、“経世済民”だという。
世を経(おさ)め、民を済(すく)う。
ところが、現代社会においてわたしたちは、金を“稼ぐ”とか“儲ける”といったことに腐心している。
与える生き方でなく、奪う生き方になっていないかどうか、問われる気がする。
わが子よ、彼らと一緒に道を歩いてはならない。彼らの通り道に、足を踏み入れてはならない。(15)
金持ちになりたがる人たちは、誘惑と罠と、また人を滅びと破滅に沈める、愚かで有害な多くの欲望に陥ります。金銭を愛することが、あらゆる悪の根だからです。(1テモテ6:9-10)