息のあるものはみな、主をほめたたえよ
息のあるものはみな、主をほめたたえよ。ハレルヤ。(詩篇150:6)
5か月かかって書いてきた詩篇も、いよいよ今日が最終篇となる。
詩篇の世界をこんなにもじっくりと味わったことは、これまでなかった。
感謝なことだ。
詩篇はさまざまな感情が吐露されているものであるが、中でも、もっともくり返されるのは主への賛美と感謝だ。
わが歩みもかくありたし。
ハレルヤ。神の聖所で、神をほめたたえよ。御力の大空で、神をほめたたえよ。(1)
「神の聖所で」とあるからといって、教会に出向く必要はない。
神がお造りになったこの世界は、心から神を見上げるなら、どこでも「神の聖所」だ。
その大能のみわざのゆえに、神をほめたたえよ。その比類なき偉大さにふさわしく、神をほめたたえよ。(2)
「その大能」「その比類なき偉大さ」に“ふさわしく”とある。
遠慮がちな賛美はあり得ない。
その偉大さにふさわしい賛美とはどれほどのものか、想像もつかない。
角笛を吹き鳴らして、神をほめたたえよ。琴と竪琴に合わせて、神をほめたたえよ。タンバリンと踊りをもって、神をほめたたえよ。弦をかき鳴らし笛を吹いて、神をほめたたえよ。音の高いシンバルで、神をほめたたえよ。鳴り響くシンバルで、神をほめたたえよ。(3-4)
音楽や舞踏の本質は神への賛美であって、人間の自己表現ではない。
それにしても「タンバリンと踊りをもって」の賛美を、わたし自身はしたことがない。
全身での賛美、素晴らしいことだろう。
息のあるものはみな、主をほめたたえよ。ハレルヤ。(6)
わたしたちは、いま、息がある。
「息のあるもの」として、この地上に生かされている。
それは、何よりもまず、主をほめたたえるためだ。
ならば、この息を、主への賛美に使おう。
ハレルヤ。
それなら、私たちはイエスを通して、賛美のいけにえ、御名をたたえる唇の果実を、絶えず神にささげようではありませんか。(ヘブル13:15)