みことばのために門を開いて
同時に、私たちのためにも祈ってください。神がみことばのために門を開いてくださって、私たちがキリストの奥義を語れるように祈ってください。この奥義のために、私は牢につながれています。(コロサイ4:3)
4章には、「祈りなさい」「祈ってください」「祈りに励んでいます」と、祈りに関する言葉が多く出てくる。
その中でパウロは二度、自分が獄中にあることにふれた。
上の箇所と、もうひとつは一番最後だ。
私パウロが自分の手であいさつを記します。私が牢につながれていることを覚えていてください。どうか、恵みがあなたがたとともにありますように。(18)
ここでパウロは、「私が牢から出られるように、祈ってください」とは言っていない。
それよりも、みことばのために門が開かれ、キリストの奥義をはっきり語れるように祈ってくださいとくり返している。
また、私がこの奥義を、語るべき語り方で明らかに示すことができるように、祈ってください。(4)
パウロは、自らが飛び回ることよりも、みことばが広がっていくことを望み、そのために祈っていたのだ。
みことばの力に心から信頼していたと、言えよう。
この福音は、あなたがたが神の恵みを聞いて本当に理解したとき以来、世界中で起こっているように、あなたがたの間でも実を結び成長しています。(コロサイ1:6)
大事なのは、伝道者が飛び回ることではなく、みことばが広まることだ。
みことばだけが、人を新しく生まれさせることができる。
あなたがたが新しく生まれたのは、朽ちる種からではなく朽ちない種からであり、生きた、いつまでも残る、神のことばによるのです。「人はみな草のよう。その栄えはみな草の花のようだ。草はしおれ、花は散る。しかし、主のことばは永遠に立つ」とあるからです。これが、あなたがたに福音として宣べ伝えられたことばです。(1ペテロ1:23-25)
みことばは、永遠に立つ。
みことばだけが、真に信頼するに値する。
みことばの力に信頼し、機会を活かして、世の光として歩みたい。
外部の人たちに対しては、機会を十分に活かし、知恵をもって行動しなさい。あなたがたのことばが、いつも親切で、塩味の効いたものであるようにしなさい。そうすれば、一人ひとりにどのように答えたらよいかが分かります。(5-6)