みつばさのかげ

一日一章、聖書のみことばから感動したこと、考えさせられたことなどを綴ります。

すべての信者の模範

あなたがたも、多くの苦難の中で、聖霊による喜びをもってみことばを受け入れ、私たちに、そして主に倣う者になりました。その結果、あなたがたは、マケドニアとアカイアにいるすべての信者の模範になったのです。(1テサロニケ1:6-7)

 

今日から、『テサロニケ人への第一の手紙』に入る。

わたしは、「テサロニケ」という響きが好きだ。

昔々の王様が、王妃の名を町につけたという。

すてきな話だ。

どんな夫婦だったのだろう。

その後、聖書にも入り、後世まで伝わる名となった。

 

さて、パウロは、テサロニケの信者たちを「すべての信者の模範になった」と称賛している。

彼らに対する大きな信頼が感じられる。

 

私たちは、あなたがたのことを覚えて祈るとき、あなたがたすべてについて、いつも神に感謝しています。(2)

 

彼らは、「主に倣う者」となった。

そういう人は、やはり「信者の模範」と言えるだろう。

 

主のことばがあなたがたのところから出て、マケドニアとアカイアに響き渡っただけでなく、神に対するあなたがたの信仰が、あらゆる場所に伝わっています。そのため、私たちは何も言う必要がありません。(8)

 

信仰が“伝わる”ことと、信仰を“伝える”ことは、似て非なるものだ。

テサロニケ教会の信仰は、伝えようとしなくても伝わった。

伝道も、かくありたい。

 

彼らの信仰の何が伝わったのか?

 

人々自身が私たちのことを知らせています。私たちがどのようにあなたがたに受け入れてもらったか、また、あなたがたがどのように偶像から神に立ち返って、生けるまことの神に仕えるようになり、御子が天から来られるのを待ち望むようになったかを、知らせているのです。この御子こそ、神が死者の中からよみがえらせた方、やがて来る御怒りから私たちを救い出してくださるイエスです。(9-10)

 

第一は、彼らがどのように偶像から神に立ち返ったか、だ。

偶像を神であるかのように拝み、頼っていた人たちが、それが無意味であると知った。

そして、唯一の「生けるまことの神」こそが信頼すべきお方であると、神に仕えるようになった。

これこそ、すばらしい奇跡だ。

 

第二は、その結果、御子が再び天から来られるのを待ち望むようになったことだ。

この手紙は、すべての章で主の「再臨」に言及している。

再臨は、とうてい理解できたり、納得できるようなものではないかもしれない。

しかし、だからと言って、それについて考えなかったり、学ぼうとしないのは間違いだろう。

テサロニケの兄弟姉妹たちのように、生き生きと再び来られる主を待ち望む者でありたい。

 

これらのことを証しする方が言われる。「しかり、わたしはすぐに来る。」アーメン。主イエスよ、来てください。(黙示録22:20)

 

 

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