みつばさのかげ

一日一章、聖書のみことばから感動したこと、考えさせられたことなどを綴ります。

万物は御子によって造られ

万物は御子によって造られ、御子のために造られました。 御子は万物に先立って存在し、万物は御子にあって成り立っています。(コロサイ1:16-17)

 

イエス・キリストは、偉大な宗教家などではない。

イエス・キリストは、キリスト教の教祖などではない。

イエス・キリストは、崇高な道徳家や歴史的偉人などではない。

 

イエス・キリストは、万物の創造主だ。

万物の存在の原因であり、目的でもあるお方、それがイエス・キリストだ。

 

こう言うと、おそらく大部分の日本人は、一笑に付すか、驚きあきれるだろう。

しかし、聖書ははっきりとそう告げている。

人間が認めようと認めまいと、信じようと信じまいとに関わらず。

 

御子は、見えない神のかたちであり、すべての造られたものより先に生まれた方です。なぜなら、天と地にあるすべてのものは、見えるものも見えないものも、王座であれ主権であれ、支配であれ権威であれ、御子にあって造られたからです。(15-16)

 

全世界の中心はイエス・キリスト、ということだ。

 

「私はあなたを親だと認めないし、信じない。私は偶然に誕生したのだ。もし親だと言うなら、証明してくれ。そうすれば信じるから」

愛するわが子から、このように言われたらどんな気持ちになるだろうか。

親にとって、これ以上の悲しみはない。

 

しかし、わたしたちはそんな態度を創造主に対してさんざん取ってきた。

恐るべき大罪と言わざるを得ない。

 

あなたがたも、かつては神から離れ、敵意を抱き、悪い行いの中にありましたが、今は、神が御子の肉のからだにおいて、その死によって、あなたがたをご自分と和解させてくださいました。あなたがたを聖なる者、傷のない者、責められるところのない者として御前に立たせるためです。(21-22)

 

二千年前、創造主である御子自らが人間の姿をとり地上に来られた。

教えを広めるためではない。

十字架にかかって、全人類の、あなたの、わたしの、受けるべき処刑を代わりに受けるためだ。

このことを信じ、イエス・キリストを受け入れてはじめて、人は本来の道に立ち返り、自分という存在の意味を知ることができる。

 

この御子にあって、私たちは、贖い、すなわち罪の赦しを得ているのです。(14)

 

 

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