みつばさのかげ

一日一章、聖書のみことばから感動したこと、考えさせられたことなどを綴ります。

あらゆる境遇に対処する秘訣

私は、貧しくあることも知っており、富むことも知っています。満ち足りることにも飢えることにも、富むことにも乏しいことにも、ありとあらゆる境遇に対処する秘訣を心得ています。(ピリピ4:12)

 

昨年からのコロナ禍で、生活が困窮する人が倍増していると思われる。

筆者も、例外ではない。

今年はいったいどんな年になるのか想像もつかない・・・、そんな不安な声があちこちから聞こえる。

だからだろう、きょうのパウロの言葉がことのほか沁みる。

 

私は、・・・ありとあらゆる境遇に対処する秘訣を心得ています。(12)

 

同じように告白できたら、どんなに素晴らしいだろう。

続く13節でパウロは、その「秘訣」を打ち明ける。

 

私を強くしてくださる方によって、私はどんなことでもできるのです。(13)

 

キリストと一つになること、ここに彼のいう「秘訣」がある。

3章で、パウロはこう言っていた。

 

私は、キリストとその復活の力を知り、キリストの苦難にもあずかって、キリストの死と同じ状態になり、何とかして死者の中からの復活に達したいのです。(ピリピ3:10-11)

 

わたしもまた、このことを切なる祈りにしたいと思う。

 

パウロは「貧しくあることも知っており」と言ったが、考えてみれば、現代に生きるわたしたちは当時のパウロよりもはるかに"物持ち"ではないだろうか。

 

パウロが、靴を日ごとに履き替えていたとは考えられない。

車検が来るから、車を買い替えようということはなかった。

きょうのデザートで悩むこともなかったし、エアコンの効きが悪いとイライラすることもなかった。

わたしたちは、クリスチャンであればたいてい自分の聖書を持っているだろうが、パウロや初代教会の人たちにとっては、まともな書物も珍しく、まして個人の書棚などは無かった。

彼らから見れば、わたしたちはなんと贅沢なことか。

 

それでもパウロは、こう証しした。

 

私はすべての物を受けて、満ちあふれています。(18)

 

また、私の神は、キリスト・イエスの栄光のうちにあるご自分の豊かさにしたがって、あなたがたの必要をすべて満たしてくださいます。(19)

 

神は、コロナ禍をとおして、わたしたちに「必要」を見直すよう促しておられるのかもしれない。

 

しかし、満ち足りる心を伴う敬虔こそが、大きな利益を得る道です。私たちは、何もこの世に持って来なかったし、また、何かを持って出ることもできません。衣食があれば、それで満足すべきです。(1テモテ6:6-8)

 

 

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