目指す目標
この命令が目指す目標は、きよい心と健全な良心と偽りのない信仰から生まれる愛です。(1テモテ1:5)
『テモテへの第一の手紙』に入る。
テモテは、パウロの手紙に何度となく登場する。
神のみこころによるキリスト・イエスの使徒パウロと、兄弟テモテから、・・・(2コリント1:1)
このような、パウロと並んだ署名で始まる手紙が6つもある。(2コリント、ピリピ、コロサイ、1テサロニケ、2テサロニケ、ピレモン)
いかにパウロから絶大な信頼を寄せられていたか、ということだ。
そのパウロが直接テモテに向けて書いたのが、この手紙だ。
信仰による、真のわが子テモテへ。(2)
パウロはテモテを、ほんとうにわが子のように愛し、信頼したのだろう。
冒頭のみことばでパウロは、目指すべき最終目標を「愛」だと明示した。
そして、その「愛」は、きよい心、健全な良心、偽りのない信仰から生まれると。
「健全な良心」ということは、「不健全な良心」があるということか。
要するに、部分的な良心ではなく、全面的に良心の呵責がないことを「健全な良心」というのかと思う。
目標をはっきり見定めておくことがなぜ大事かといえば、むなしいことに迷い込まないためだ。
ある人たちはこれらのものを見失い、むなしい議論に迷い込み、律法の教師でありたいと望みながら、自分の言っていることも、確信をもって主張している事柄についても理解していません。(6-7)
目指すものが明確であるほど、必要なものと不必要なものとをはっきり見分けることができる。
反対に目標があいまいだと、不必要なことに関わり合って無駄な時間を過ごすことになる。
ここでは特に、「議論」に注意するよう示されている。
だいたいにおいて、男は議論好きだ。
わたしの経験から言っても、議論において、「愛」によって議論することはまずない。
相手を打ち負かそうとしたり、相手より自分を大きく見せようとする場合がほとんどだ。
重々気をつけよう。
わたしたちも、いま一度、「愛」という目標をはっきり受け取り、迷いなく進んでいきたいものである。
私の子テモテよ。以前あなたについてなされた預言にしたがって、私はあなたにこの命令を委ねます。それは、あなたがあの預言によって、信仰と健全な良心を保ち、立派に戦い抜くためです。(18)