生きることはキリスト
私にとっては生きることはキリスト、死ぬことは益です。(ピリピ1:21)
きょうから、『ピリピ人への手紙』だ。
また例によって、全体を"ザッと読み"してみる。
他の手紙同様、曲がった教えに対する警告もあるが、ピリピ書ではパウロ自身の信仰告白がより強く打ち出されていると感じる。
冒頭のみことばが、その典型だ。
私にとっては生きることはキリスト、(21)
なんと迷いのない、気持ちの良い言葉であろうか。
「あなたにとって生きることとは何ですか?」と聞かれたら、どう答えるだろう。
ある人は、旅と答えるかもしれない。
またある人は勉強、ある人は快楽、ある人はゲーム、ある人はマラソン、ある人は暇つぶし等々、挙げればキリがない。(これらはみな、ネットで検索して出てきたものだ)
パウロは、迷いなく「生きることはキリスト」と言い切った。
しかも、「死ぬことは益」だという。
私の願いは、世を去ってキリストとともにいることです。そのほうが、はるかに望ましいのです。(23)
パウロのこの告白が、その後、どれほど多くの死と直面する者たちを力づけたことだろう。
For to me, to live is Christ and to die is gain.(21・英訳)
「あなたにとって生きることとは何ですか?」
この問いに、パウロにならって、恥じることなくはっきりと答えようではないか。
「私にとっては、生きることはキリストです」と。
それどころか、私の主であるキリスト・イエスを知っていることのすばらしさのゆえに、私はすべてを損と思っています。私はキリストのゆえにすべてを失いましたが、それらはちりあくただと考えています。(ピリピ3:8)