みつばさのかげ

一日一章、聖書のみことばから感動したこと、考えさせられたことなどを綴ります。

永遠のご計画

これは、今、天上にある支配と権威に、教会を通して神のきわめて豊かな知恵が知らされるためであり、私たちの主キリスト・イエスにおいて成し遂げられた、永遠のご計画によるものです。(エペソ3:10-11)

 

1節でパウロは、自らを「キリスト・イエスの囚人」と呼んだ。

 

こういうわけで、あなたがた異邦人のために、私パウロはキリスト・イエスの囚人となっています。(1)

 

この手紙はローマの獄中で書かれたので、文字どおり彼は囚人であったのだが、「キリストによって捉えられた者」という意味も同時に込めているのだろう。

監禁された日々の中で、パウロの霊的洞察はより深くなり、ますます教会のために祈る者となった。

3章を読むと、そのことに気づかされる。

 

前半(1~13節)では、「キリストの奥義」(4)を啓示された者としての、自らの使命について語っている。

後半(14~21節)は、教会のための祈りの言葉だ。

 

パウロは、「キリストの奥義」をこう説いた。

  

それは、福音により、キリスト・イエスにあって、異邦人も共同の相続人になり、ともに同じからだに連なって、ともに約束にあずかる者になるということです。(6)

 

「同じからだ」とはキリストのからだ、すなわち「教会」のことと言ってよいのだろう。

冒頭に挙げた10節では、その「教会」を通して神の知恵が知らされるとあり、「永遠のご計画によるもの」だと言っている。

 

パウロは監禁された身でありながら、その「内なる人」(16)は自由であった。

「永遠のご計画」の中で、自分を捉えていたのだ。

 

これは、パウロのみならず、聖書をとおしてそれを知らされているわたしたちキリスト者も、あずかることができる自由だ。

どんな状況にあっても、自分という存在が「永遠のご計画」の中で意味ある存在なのだと確信できる。

 

わたしたちは、ホワイトアウトの雪山を手探りで進むような者ではない。

たとえ視界はさえぎられても、手には地図とコンパスがあり、心に神の御霊が宿っておられる。

 

そしてパウロは、教会のために祈った。

 

  • 内なる人に働く御霊により、力をもってあなたがたを強めてくださいますように(16)
  • 心のうちにキリストを住まわせてくださいますように(17)
  • 人知をはるかに超えたキリストの愛を知ることができますように(19)
  • 神の満ちあふれる豊かさにまで、あなたがたが満たされますように(19)

 

これらの祈りを、自分自身と、キリストのからだなる教会のために、献げよう。

そのためにも、キリスト・イエスの囚人として、一人静まる時を持とう。

 

どうか、私たちのうちに働く御力によって、私たちが願うところ、思うところのすべてをはるかに超えて行うことのできる方に、教会のおいて、またキリスト・イエスにあって、栄光が、世々限りなく、とこしえまでもありますように。アーメン。(20-21)

 

 

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