すべてのものがきよいのです
きよい人たちには、すべてのものがきよいのです。しかし、汚れた不信仰な人たちには、何一つきよいものはなく、その知性も良心も汚れています。(テトス1:15)
『テトスへの手紙』に入った。
パウロが、愛弟子テトスに送った手紙だ。
『テモテへの手紙第一・第二』と同じく、牧会の実践的指導書となっている。
15節には、二種類の人が出てくる。
「きよい人たち」と「不信仰な人たち」がそれだ。
「きよい人たち」とは、その前に書いてある「監督」のような人といえる。
監督は神の家を管理する者として、非難されるところのない者であるべきです。わがままでなく、短気でなく、酒飲みでなく、乱暴でなく、不正な利を求めず、むしろ、人をよくもてなし、善を愛し、慎み深く、正しく、敬虔で、自制心があり、教えにかなった信頼すべきみことばを、しっかりと守っていなければなりません。(7-9)
ひと言で言えば、神を愛し、隣人を愛する人だ。
「不信仰な人たち」については、こうある。
実は、反抗的な者、無益な話をする者、人を惑わす者が多くいます。特に、割礼を受けている人々の中に多くいます。そのような者たちの口は封じなければなりません。彼らは、恥ずべき利益を得るために、教えてはならないことを教え、いくつかの家庭をことごとく破壊しています。(10-11)
「不信仰」の起源は、言うまでもなくサタンだ。
反抗、無益、惑わし、破壊、いずれもサタンの性質にほかならない。
それに対し、「きよさ」の起源は神ご自身だ。
神が造られたものはすべて良いもので、感謝して受けるとき、捨てるべきものは何もありません。神のことばと祈りによって、聖なるものとされるからです。(1テモテ4:4-5)
きよい人には、すべてがきよい。
ぜひとも、その世界に生きたいと思う。
愛、喜び、平安、寛容、・・・そこは御霊の実が豊かに実っている世界だ。
反対に、「不信仰」の世界には生きたくない。
それはサタンが作り出した、偽りの世界だ。
彼らは、神を知っていると公言しますが、行いでは否定しています。彼らは忌まわしく、不従順で、どんな良いわざにも不適格です。(16)
「すべてのものがきよい」という世界を、少しでも知ることができるよう祈りたい。
私たちがキリストから聞き、あなたがたに伝える使信は、神は光であり、神には闇が全くないということです。もし私たちが、神と交わりがあると言いながら、闇の中を歩んでいるなら、私たちは偽りを言っているのであり、真理を行っていません。(1ヨハネ1:5-6)