みつばさのかげ

一日一章、聖書のみことばから感動したこと、考えさせられたことなどを綴ります。

みことばを宣べ伝えなさい

みことばを宣べ伝えなさい。時が良くても悪くてもしっかりやりなさい。忍耐の限りを尽くし、絶えず教えながら、責め、戒め、また勧めなさい。(2テモテ4:2)

 

この章で、パウロはこう言っている。

 

私はすでに注ぎのささげ物となっています。私が世を去る時が来ました。私は勇敢に戦い抜き、走るべき道のりを走り終え、信仰を守り通しました。(6-7)

 

死期が近いことを悟ったパウロは、1節でこう言った。

 

神の御前で、また、生きている人と死んだ人をさばかれるキリスト・イエスの御前で、その現れとその御国を思いながら、私は厳かに命じます。(1)

 

パウロは常に、神とキリストの「御前」に歩んだ。

そしてこのときは、より強くそれを思い、厳粛な気持ちで語った。

 

みことばを宣べ伝えなさい。(2)

 

まるで大事なバトンを引き継ぐかのように、「みことばを宣べ伝える」という働きを、テモテに託した。

 

しかし、主は私とともに立ち、私に力を与えてくださいました。それは、私を通してみことばが余すところなく宣べ伝えられ、すべての国の人がみことばを聞くようになるためでした。(17)

 

パウロにとっては、みことばが伝わることだけが大切だった。

こうして受け継がれた「みことばを宣べ伝える」というバトンを、真に敬虔な主のしもべたちが大事に守ってきたからこそ、わたしもまた主を知ることができ、人生の意味を知ることができ、真の喜びと希望を知ることができたのだ。

 

聖書はあなたに知恵を与えて、キリスト・イエスに対する信仰による救いを受けさせることができます。(2テモテ3:15)

 

いまも、真理を求め、苦しみと悩みの中でもがき、何も信用できなくなり、絶望している人がたくさんいる。

ことに胸を痛めるのは、先日報じられた日本の子どもたちの自殺が増えているというニュースだ。

 

「信じられるものなど何も無い」という思考は、人を死に追いやる。

が、その一方で、それは真理に出合う一歩手前とも言えるのではないか。

真に信じるに値するものは、聖書のみであり、イエス・キリストお一人であるからだ。

 

日本の若者たちのために祈ろう。

うわべは明るく見えても、心はわからない。

みことばが届けられるように、切に祈ろう。

 

それから、イエスは彼らに言われた。「全世界に出て行き、すべての造られた者に福音を宣べ伝えなさい。」(マルコ16:15)

 

 

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