みつばさのかげ

一日一章、聖書のみことばから感動したこと、考えさせられたことなどを綴ります。

すべての人のために

そこで、私は何よりもまず勧めます。すべての人のために、王たちと高い地位にあるすべての人のために願い、祈り、とりなし、感謝をささげなさい。それは、私たちがいつも敬虔で品位を保ち、平安で落ち着いた生活を送るためです。(1テモテ2:1-2)

 

パウロは、「王たちと高い地位にあるすべての人のために」祈れ、と書いた。

「すべての人」は、2章でくり返されるキーワードだ。

 

王家以外の高い地位の人たちとは、当時で言えば政治家や宗教家や軍人などであり、現代ではそこに実業家や資産家たちが入るだろう。

このような人たちが敬愛の対象となるよりはむしろ批判の対象となりすいのは、昔もいまも変わらない。

 

特に男性は政治の話を好み、「いまの政治はなっとらん」「あんな政府じゃだめだ」と息巻く。

ひどい場合には、口論から暴力に発展し、国を揺るがすほどの騒ぎに至るのは、今回のアメリカ大統領選挙を見てもよくわかる。

 

そういうわけで、私はこう願っています。男たちは怒ったり言い争ったりせずに、どこででも、きよい手を上げて祈りなさい。(8)

 

おそらく当時の教会でも、為政者に対して怒ったり、口論になることがあったのだろう。

それが冒頭のみことばにつながった。

 

神は、すべての人が救われて、真理を知るようになることを望んでおられます。神は唯一です。神と人との間の仲介者も唯一であり、それは人としてのキリスト・イエスです。キリストは、すべての人の贖いの代価として、ご自分を与えてくださいました。これは、定められた時になされた証しです。(4-6)

 

キリストが「すべての人」のために死なれたということは、「すべての人」が神の愛の対象であるということにほかならない。

だからこそわたしたちは、批判するよりも、まず祈らなければならない。

 

そのような祈りは、私たちの救い主である神の御前において良いことであり、喜ばれることです。(3)

 

パウロは、女性たちにも次のように書いた。

 

同じように女たちも、つつましい身なりで、控えめに慎み深く身を飾り、はでな髪型や、金や真珠や高価な衣服ではなく、 神を敬うと言っている女たちにふさわしく、良い行いで自分を飾りなさい。(9-10)

 

ここで言われている控えめなつつましさや、良い行いで自分を飾ることなどは、男性にも当てはまる。

キリストのしもべは、大声でこぶしを振り上げるのではなく、きよい手を上げて祈る者なのだ。

 

無慈悲、憤り、怒り、怒号、ののしりなどを、一切の悪意とともに、すべて捨て去りなさい。(エペソ4:31)

 

人の怒りは神の義を実現しないのです。(ヤコブ1:20)

 

  

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