むちを控える者は自分の子を憎む者
むちを控える者は自分の子を憎む者。子を愛する者は努めてこれを懲らしめる。(箴言13:24)
昔、スイスの登山鉄道に乗ったときのこと。
青空と美しい山並みの中、ゴトンゴトンと列車が登り、乗客たちも談笑してくつろいでいた。
突然、「パン、パン、パン」と大きな音が響いた。
驚いて振り向くと、一人の母親が5~6歳くらいの男の子を抱え上げ、叱り飛ばしながらお尻を叩いている。
その凄まじい迫力に驚いたのだが、さらに驚いたのはまわりの乗客の反応だ。
まったく無反応だったのだ。
それは日本でときどき見られる、関わらない方が良いというような無関心さとは違う。
「あー、やってるな」と言わんばかりの平常さで談笑を続けていた。
このことは、文化の違いを感じる印象的な出来事だった。
“体罰”は、いまの時代において、絶対にあってはならないことになりつつある。
親が子どもに行うものも、例外ではない。
そしてこれは、クリスチャンの中でも意見の分かれる問題だろう。
ただ聖書は、冒頭のみことばのように、「むちを控える者は自分の子を憎む者」とまで言っている。
箴言には、つぎのようなみことばもある。
子どもを懲らしめることを差し控えてはならない。むちで打っても、死ぬことはない。あなたがむちでその子を打つなら、その子のいのちをよみから救い出すことができる。(箴言23:13-14)
むちと叱責とは知恵を与える。わがままにさせた子は、母に恥を見させる。(箴言29:15)
子どもの“見抜く力”はすごい。
親が本気でぶつかって来てくれないことを、見抜いている。
そして、なぜ厳しく叱ってくれないのかと、思っている。
結局は、叩くとか叩かないといったことよりも、ほんとうに愛しているのかどうかが問われるのだと思う。
そしてイエスは子どもたちを抱き、彼らの上に手を置いて祝福された。(マルコ10:16)