みつばさのかげ

一日一章、聖書のみことばから感動したこと、考えさせられたことなどを綴ります。

よその女

よその女の唇は蜂の巣の蜜を滴らせ、その口は油よりも滑らかだが、終わりには苦よもぎのように苦くなり、両刃の剣のように鋭くなるからだ。(箴言5:3-4)

 

2章に続いて、「よその女」という表現が二度目の登場だ。

狭くとれば肉的な、広くとれば霊的な意味合いがあると思われるが、いずれにせよ“姦淫”に対する警告となっている。

5章は2章よりも、より性愛的な表現が強いのが特徴だ。

 

「よその女」がもたらす「蜜」は、最終的に「苦よもぎ」となる。

 

この女の足は死に下って行き、その足取りはよみをつかみ取る。その女はいのちの道に心を向けない。彼女が通う道はあてどもなくさまよう。しかし彼女は、それを知らない。(5-6)

 

「死」「よみ」に向かっていながら、「それを知らない」。

非常に危険であることは、言うまでもない。

 

あなたの道をこの女から遠ざけ、その家の戸口に近づくな。(8)

 

結局、“近づかない”のが最善の策だ。

豪雨の川を見に行く人は、「自分は大丈夫」と思って出かける。

しかし、時として流れに巻き込まれ命を落とす。

 

「よその女」の甘く魅力的な誘いも、「ちょっとくらい大丈夫」と近づいたとたんに、足をすくわれる。

“けっして近づかない”ことが最善の策。

 

あなたの泉を祝福されたものとし、あなたの若いときからの妻と喜び楽しめ。愛らしい雌鹿、麗しいかもしか。彼女の乳房がいつもあなたを潤すように。あなたはいつも彼女の愛に酔うがよい。(18-19)

 

聖書をまったく読んだことのない人が、このみことばを見たら驚くかもしれない。

しかし、聖書は、すなわち神は、性愛をけっして否定しない。

むしろ喜びと祝福をもたらすものとして、人に与えておられる。

 

何が「よその女」の惑わしか、何が主の道か、見極める知恵を与えられるよう祈りたい。

 

わが子よ。どうしてよその女に夢中になり、見知らぬ女の胸を抱くのか。(20)

 

 

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