初めの愛
「けれども、あなたには責めるべきことがある。あなたは初めの愛から離れてしまった。」(黙示録2:4)
2章と3章は、7つの教会に向けての主のことばだ。
それらのことばは、おおよそ、次のパターンで語られている。
- 承認・「わたしは、あなたの〇〇を知っている」
- 非難・「しかしあなたには責めるべきことがある。悔い改めよ」
- 約束・「勝利を得る者に〇〇を与えよう」
7つの教会のうち、非難されていないのは、2番目のスミルナと6番目のフィラデルフィアだけだ。
今日は、1番目のエペソの教会へのことばを取り上げたい。
エペソは、“惜しい”教会だった。
もうちょっとで、非難されない教会になれた。
「わたしは、あなたの行い、あなたの労苦と忍耐を知っている。また、あなたが悪者たちに我慢がならず、使徒と自称しているが実はそうでない者たちを試して、彼らを偽り者だと見抜いたことも知っている。あなたはよく忍耐して、わたしの名のために耐え忍び、疲れ果てなかった。」(2-3)
彼らは、信仰の道から外れていなかった。
「労苦と忍耐」においても、模範的だった。
しかし、彼らにも非難されるべきことがあった。
「あなたは初めの愛から離れてしまった。」(4)
これは、言われないと気づかないところではないだろうか。
信仰の道をきちんと歩んでいたにもかかわらず、主を悲しませる部分があったのだ。
信仰の歩みが長くなるほど、だれもが陥る可能性がある。
もう一度、主と出合った当時を思い出そう。
さまよっていた人生に終止符を打ち、主のものとされた喜びで満たされていた。
教会に通うのがなによりも楽しみで、涙しながら聖歌を歌った。
拙いながらも、だれかれ構わず主を証しした。
「あなたのあの喜びは、どこに行ったのか?」と、主は問うておられる。
「さあ、行ってエルサレムの人々に宣言せよ。『主はこう言われる。わたしは、あなたの若いころの真実の愛、婚約時代の愛、種も蒔かれていなかった地、荒野でのわたしへの従順を覚えている。』」(エレミヤ2:2)
わたしたちは忘れても、主は覚えておられるのだ。
ありがたいことだ。
教会は「キリストの花嫁」と言われている。
しかし、挙式はこれからだ。
つまり、いまわたしたちは、「キリストの婚約者」だ。
婚約時代は、相手のことが常に心にあり、すべての行動を決め、共なる生活のために心身を準備する。
主が迎えに来られるそのときに備え、「初めの愛」に立ち返ろう。
「だから、どこから落ちたのか思い起こし、悔い改めて初めの行いをしなさい。」(5)