みこころを行うことを教えてください
あなたのみこころを行うことを教えてください。あなたは私の神であられますから。あなたのいつくしみ深い霊が、平らな地に私を導いてくださいますように。(詩篇143:10)
ダビデの詩篇の特長は、「あなた」という呼びかけに満ちていることだ。
この143篇だけでも、全12節中に、実に18回も「あなた」が出てくる。
いかに彼が主を慕い求めていたかがわかる。
あなたに向かって、私は手を伸べ広げ、私のたましいは、乾ききった地のように、あなたを慕います。(6)
朝にあなたの恵みを聞かせてください。私はあなたに信頼していますから。行くべき道を知らせてください。私のたましいはあなたを仰いでいますから。(8)
また、「聞かせてください」「知らせてください」「教えてください」といった呼びかけもたくさんある。
これらは、いかに彼が主の助けと導きを必要としていたかを、教えてくれる。
まるで主から離れたら何一つできない無力な者のようであり、事実、彼はそうであった。
同じことを告白されたのが、ほかならぬイエスさまだ。
「子は、父がしておられることを見て行う以外には、自分から何も行うことはできません。すべて父がなさることを、子も同様に行うのです。」(ヨハネ5:19)
「わたしは、自分からは何も行うことができません。」(ヨハネ5:30)
英訳聖書では、このイエスさまが語られた「できません」は、ほとんどの訳で「can do nothing」(何一つできない)と訳されており、禁止の「must not」(してはいけない)ではない。
イエスさまこそが、無力な者として、御父に呼ばわりながら歩まれたのだ。
あなたのみこころを行うことを教えてください。(10)
ああ、このわたしは、なんと自分勝手に動いていることだろう。
なんと主に問いかけ、呼びかけることの少ない者だろう。
ダビデのように、無力になりきって、一歩一歩手を取っていただこう。
主よ、私の祈りを聞き、私の願いに耳を傾けてください。あなたの真実と義によって、私に答えてください。(1)