神こそさばき主
まことに、神こそさばき主。ある者を低くし、ある者を高く上げられる。(詩篇75:7)
74篇は、わがもの顔で聖所を荒らす敵を見ながら、「いつまで」「なぜ」と神に問う祈りであった。
75篇は、そのアンサーソングのような形になっている。
「わたしが、定めの時を決め、わたし自ら、公正にさばく。地とそこに住むすべての者が揺らぐとき、わたしが、地の柱を堅く立てる。」(2-3)
神は、忘れておられるのでもなければ、見て見ぬふりをしておられるのでもない。
かならず「さばく」、その「定めの時」がある、と言っておられる。
「わたしは、誇る者には、『誇るな』と言い、悪者どもには、『角を上げるな。おまえたちの角を高く上げるな。横柄な態度で語るな』と言う。」(4-5)
神は「悪者ども」を見過ごしにはされない。
主の御手には、杯があり、混ぜ合わされた泡立つぶどう酒が満ちている。主がこれを注ぎ出されると、実に、すべての地の悪者どもは、それを飲み、かすまで飲み干す。(8)
主が悪者どもに飲ませられるぶどう酒は、彼らには旨くてしかたがない。
彼らは、神を恐れることもなく、欲望のままに生きるが、それがすでに「さばき」の始まりであることに気づかない。
詩篇10篇のみことばを、思い出す。
彼の道はいつも栄え、あなたのさばきは高すぎて、彼の目に入りません。敵という敵を、彼は吹き飛ばしてしまいます。(詩篇10:5)
神こそがさばき主であり、かならずいっさいを正しくさばかれる。
そうでなければ、神とは言えないのだ。
私は悪者どもの角を、ことごとく切り捨てます。正しい者の角は、高く上げられます。(10)
問題は、神の「時」と、わたしたちの「時」とが、しばしば大きく違うことだ。
神の正しいさばきを信じ、主を信頼して進もう。
「見よ、わたしはすぐに来る。それぞれの行いに応じて報いるために、わたしは報いを携えて来る。」(黙示録22:12)