あなたの御名は全地にわたり
主よ、私たちの主よ。あなたの御名は全地にわたり、なんと力に満ちていることでしょう。あなたのご威光は天でたたえられています。(詩篇8:1)
8篇は、創造主としての神をほめたたえる賛歌だ。
「全地」を見るとき、人はだれでも、意識するしないにかかわらず、神の存在を覚える。
神の、目に見えない性質、すなわち神の永遠の力と神性は、世界が創造されたときから被造物を通して知られ、はっきりと認められるので、彼らに弁解の余地はありません。(ローマ1:20)
それを素直に認めるのは、幼子たちだ。
幼子たち、乳飲み子たちの口を通して、あなたは御力を打ち立てられました。(2)
もし5歳の子どもが「私は神など信じない」と言ったら、周りの大人はその子の将来について心配するだろう。
ところが「神様」と素直に信じていた子どもも、いつのまにか「神」と呼び捨てるようになり、そのうち「神というのは人間が作り出した産物でねぇ」などとのたまう大人になる。
タバコをふかすのが格好良く思えるように、「神」を舌先で扱うのは格好良く見えるのだ。
あなたの指のわざである、あなたの天、あなたが整えられた月や星を見るに、人とは何ものなのでしょう。あなたが心に留められるとは。人の子とは何ものなのでしょう。あなたが顧みてくださるとは。(3-4)
かつてわたしは、流れ星が次々に流れる満天の星空を見たことがある。
周りの人たちもみな、歓声を上げていた。
あの星空を見ながら、「ああ、やっぱり神はいない」と言う人がいたら、よほど頭がねじ曲がっている人だ。
神は、すべての人に、創造された素晴らしい世界を開いておられる。
あなたの御手のわざを人に治めさせ、万物を彼の足の下に置かれました。羊も牛もすべて、また野の獣も、空の鳥、海の魚、海路を通うものも。(6-8)
聖書ははっきりと、この世界は神によって造られ、人間の管理下に与えられたと告げている。
サルがだんだん進化して人間になった、というのと、どちらが現実的であり、信じるに値するだろうか?
汎神論者は人間だけを特別扱いすることを嫌うが、人間が特別な存在であり、この世界を治めていることは明らかな事実である。
問題は、人間の罪ゆえに、治め方が間違ってしまったことだ。
子どもがグチャグチャにした部屋を親が片付けるように、主はいずれ、この地球環境を劇的に改善され、神の支配が行き届く千年王国を実現される。
そこに入れるのは、幼子たちだけだ。
「まことに、あなたがたに言います。子どものように神の国を受け入れる者でなければ、決してそこに入ることはできません」(マルコ10:15)