みつばさのかげ

一日一章、聖書のみことばから感動したこと、考えさせられたことなどを綴ります。

親の恩に報いる

もし、やもめに子どもか孫がいるなら、まずその人たちに、自分の家の人に敬愛を示して、親の恩に報いることを学ばせなさい。それが神の御前に喜ばれることです。(1テモテ5:4)

 

5章ではやもめに関する使信が語られているが、上のみことばは、やもめではなく、その子や孫についての言葉だ。

「親の恩に報いること」、それが「神の御前に喜ばれること」であると。

 

恥ずかしいことに、わたし自身、それができているとは到底言えない。

むしろ、親には迷惑をかけどおしだ。

 

だから、正直なところ、このみことばは避けて通りたい。

しかし、そういうみことばこそ自分に必要であり、主がそのみことばによって、わたしが目を背けようとする問題に光を当てておられると思う。

 

もしも親族、特に自分の家族の世話をしない人がいるなら、その人は信仰を否定しているのであって、不信者よりも劣っているのです。(8)

 

現代は老後の生き方や家族のあり方も多様化していることから、このみことばも、一概に同居すべき云々という話ではないのだろう。

ただし、心の奥で親を見限っていたり、知らんぷりするような態度でいるならば、それは「不信者よりも劣っている」ことになろう。

 

教会に長年通っていても、親や親族と絶縁状態にあったり、反対に子どもとまったく疎遠になっていたりということは、実は珍しくないように思う。

家族はもっとも大切な単位でありながら、こじれたらこれほど修復の難しい関係もほかにない。

 

わたし自身は、こじれているわけではないが、積極的に「親の恩に報いる」ことはできていない。

高齢となった親に、いまからでもしっかり恩返ししたいと思う。

 

同じように、良い行いも明らかですが、そうでない場合でも、隠れたままでいることはありません。(25)

 

それからイエスは一緒に下って行き、ナザレに帰って両親に仕えられた。(ルカ2:51)

 

にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ
にほんブログ村