感謝して受ける
神が造られたものはすべて良いもので、感謝して受けるとき、捨てるべきものは何もありません。(1テモテ4:4)
パウロは「後の時代」について、「惑わす霊と悪霊の教え」により人々が不信仰になると書いた。(1)
その教えは「偽善」によるものであり、不自然なまでに肉体的禁欲を求めるという。
彼らは結婚することを禁じたり、食物を断つことを命じたりします。しかし食物は、信仰があり、真理を知っている人々が感謝して受けるように、神が造られたものです。(3)
これを受けての言葉が、冒頭のみことばだ。
- 神が造られたものはすべて良いもの
- 感謝して受けるとき、捨てるべきものは何もない
神が造られたものがすべて良いものであるのは、当然のことだ。
悪霊はその「良いもの」をねじ曲げて、人を偽りへと誘惑する。
「感謝して受ける」、これがポイントになる。
神が造られた良いものを、そのとおり祝福として受けるには、「断つ」のではなく、「感謝する」ことだ。
「断つ」と「感謝する」は、真反対の事柄といえる。
パウロは、こう続けている。
神のことばと祈りによって、聖なるものとされるからです。(5)
この言葉は、『使徒の働き』にあるペテロの体験を思いだ出させる。
すると、もう一度、声が聞こえた。「神がきよめた物を、あなたがきよくないと言ってはならない。」(使徒10:15)
さて、神が造られたものがすべて良いものであるということは、ほかならぬわたしたち自身もそこに入るということだ。
わたしも、あなたも、すべての人が「神が造られたもの」であることに疑いの余地はない。
感謝して受けるとき、捨てるべきものは何もありません。
それは断つべきでも、ましてや捨てるべきでもない。
「感謝して受ける」べきものだ。
ああ、わたし自身の、なんと感謝の少ないことか。
ことりの声や きれいなもみじ
野菜くだもの 海でとるもの
ふた親兄弟 友だちなどを
感謝します 感謝します
感謝します 神さま
(聖歌『わたしのように』より)
自分自身を、そしてわたしの周りに与えられている人たちを、生活のさまざまな環境を、もっともっと感謝しよう。
すべてのことにおいて感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。(1テサロニケ5:18)